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昨日は、図書返却の日なので、継続借り出しの手続きをとると、1冊予約が入っていたので返却しなければならなくなった。
縄文文化と文化の基層について書かれた本でまだ読み残しがあった。
考古学は、ものすごいスピードで展開している。
新しい発見があると過去の学説がすべてひっくり返るのは、よくあることである。
今回返却した縄文文化の本は、文庫本であるが学術的にも優れた本だ。
残念ながら、そこに使用された学説は、当時最新でみんなその学説を信じていたが、現在は違う個所もある。
例えば佐原真氏の提唱された弥生文化は、伝来すると同時に短い期間で東北まで一気に広がったという説は、様々な発掘成果からかなりゆっくりしたスピードで日本に拡散し、しかも地域でむらがあったという。
同じ弥生時代に関東のように縄文的生活を送っていた地域や、同じ地域内でも弥生文化をすぐにうけいれた地域と遅い地域と混在しているところもあるといいその時代像はまだ定まっていない。
そもそも弥生時代の年代すら確定していないのだ。
ただ壱岐を経て北九州に最も早く稲作文化が伝わったことだけは分かっている。
その時の、縄文人がどのように渡来人を受け入れたかも、少しずつ分かり始めている。
大量の渡来人が来たのではなく、渡来人が混血を重ね、渡来系弥生人と縄文系弥生人がいたらしいという説もある。
このように見ると、日本文化の基層の多くが縄文文化だったかというのは、まだ早いかもしれないと思う。
ただ、西日本の照葉樹林文化と東日本の落葉広葉樹林文化の自然環境による東と西の縄文文化の違いと、その後の影響に関しての説は納得できる。
縄文文化で、食料採集や狩猟や半農耕(管理栽培)で食糧が十分確保できれば、稲作文化を受け入れる必要性が無くなるので、弥生文化の受容の分布や、一部地域で指摘されている弥生文化受容後に再度縄文化した地域がある可能性があるといわれている問題も説明がつく。
ただ、縄文晩期から弥生草創期の気候がどうだったかということも、大いにそうした議論に影響する。
縄文中期の縄文海進のように温暖になれば、中部から東北地方にかけて、縄文文化が栄え、人口も爆発的に増加している。
しかし縄文晩期から弥生草創期にかけては、縄文中期と比べ気候は寒冷化して、人口が減少していといわれるが、その前提として、縄文草創期が絶対年代でいつになるか、まだ確定しておらず、縄文から弥生の境目が、学説により紀元前600年から1000年以上前とかなりの差があるので、稲作や狩猟採集に対する、正確な当時の気候環境や影響は断定できない。
そうした時期に、中期に代表される縄文文化がどれだけ残っていたかということでもあるし、北九州の草創期の弥生遺跡?でみられるように、明らかに縄文人男性がドルメン=朝鮮系の墓制に葬られている例や、渡来系文化の遺跡に、縄文系の人が葬られているところを見ると、縄文人の多くが混血し、先進的な渡来文化に飲み込まれ、縄文文化も混じり合って弥生文化が生まれたことも考えられる。
そうした場合どこまで、弥生文化の中に縄文的要素が残っているかであろう。
この辺りは、やはり今後の発掘研究成果を待つしかない。
図書館へ本を返却しに行った後は、いつものように西天満へ出かけた。
土曜日なので、作家が多く在籍していた。
何人かの作家と話を聞いたり、対話することができた。
その後は、いつものように天満橋でお茶を飲んで帰宅した。
帰宅後は、未完であった副食作りに追われた。
そういえば、昨日の昨日記で情報機関のことに触れたが、早速イラクにいるという公開のネット情報を見て、やはりと思った。
(真偽のほどは不明だが。身内をだますことも仕事だから)
日本人のファンのお友達は、当然単なるお仕事でお出かけと思っているようだ。
オバマ大統領の、イスラム国への対応に対し共和党からの強い批判にさらされ、国防長官を事実上更迭したばかりなので(後任が決まるまで留任)、政治的駆け引きからも、強いアメリカを誇示するために、次の強力な一手準備するはずであろう。
米軍はいよいよ本格的に動き出す準備を始めたのかも知れない。
とりあえずイラクに軍事顧問団を増派するらしいので、その流れの中の活動かも知れないが。
北朝鮮の極限に近い挑発の時に彼らが初来日し動いたように、情報の実行部隊は上からの指示で休みなく日本も含む全世界で様々な工作活動や情報収集をしているのだろう。
イスラム国は、凶暴だ。
無事を祈る。
散歩者gooのトップページへ、 http://blog.goo.ne.jp/sksoo
昨日は、図書返却の日なので、継続借り出しの手続きをとると、1冊予約が入っていたので返却しなければならなくなった。
縄文文化と文化の基層について書かれた本でまだ読み残しがあった。
考古学は、ものすごいスピードで展開している。
新しい発見があると過去の学説がすべてひっくり返るのは、よくあることである。
今回返却した縄文文化の本は、文庫本であるが学術的にも優れた本だ。
残念ながら、そこに使用された学説は、当時最新でみんなその学説を信じていたが、現在は違う個所もある。
例えば佐原真氏の提唱された弥生文化は、伝来すると同時に短い期間で東北まで一気に広がったという説は、様々な発掘成果からかなりゆっくりしたスピードで日本に拡散し、しかも地域でむらがあったという。
同じ弥生時代に関東のように縄文的生活を送っていた地域や、同じ地域内でも弥生文化をすぐにうけいれた地域と遅い地域と混在しているところもあるといいその時代像はまだ定まっていない。
そもそも弥生時代の年代すら確定していないのだ。
ただ壱岐を経て北九州に最も早く稲作文化が伝わったことだけは分かっている。
その時の、縄文人がどのように渡来人を受け入れたかも、少しずつ分かり始めている。
大量の渡来人が来たのではなく、渡来人が混血を重ね、渡来系弥生人と縄文系弥生人がいたらしいという説もある。
このように見ると、日本文化の基層の多くが縄文文化だったかというのは、まだ早いかもしれないと思う。
ただ、西日本の照葉樹林文化と東日本の落葉広葉樹林文化の自然環境による東と西の縄文文化の違いと、その後の影響に関しての説は納得できる。
縄文文化で、食料採集や狩猟や半農耕(管理栽培)で食糧が十分確保できれば、稲作文化を受け入れる必要性が無くなるので、弥生文化の受容の分布や、一部地域で指摘されている弥生文化受容後に再度縄文化した地域がある可能性があるといわれている問題も説明がつく。
ただ、縄文晩期から弥生草創期の気候がどうだったかということも、大いにそうした議論に影響する。
縄文中期の縄文海進のように温暖になれば、中部から東北地方にかけて、縄文文化が栄え、人口も爆発的に増加している。
しかし縄文晩期から弥生草創期にかけては、縄文中期と比べ気候は寒冷化して、人口が減少していといわれるが、その前提として、縄文草創期が絶対年代でいつになるか、まだ確定しておらず、縄文から弥生の境目が、学説により紀元前600年から1000年以上前とかなりの差があるので、稲作や狩猟採集に対する、正確な当時の気候環境や影響は断定できない。
そうした時期に、中期に代表される縄文文化がどれだけ残っていたかということでもあるし、北九州の草創期の弥生遺跡?でみられるように、明らかに縄文人男性がドルメン=朝鮮系の墓制に葬られている例や、渡来系文化の遺跡に、縄文系の人が葬られているところを見ると、縄文人の多くが混血し、先進的な渡来文化に飲み込まれ、縄文文化も混じり合って弥生文化が生まれたことも考えられる。
そうした場合どこまで、弥生文化の中に縄文的要素が残っているかであろう。
この辺りは、やはり今後の発掘研究成果を待つしかない。
図書館へ本を返却しに行った後は、いつものように西天満へ出かけた。
土曜日なので、作家が多く在籍していた。
何人かの作家と話を聞いたり、対話することができた。
その後は、いつものように天満橋でお茶を飲んで帰宅した。
帰宅後は、未完であった副食作りに追われた。
そういえば、昨日の昨日記で情報機関のことに触れたが、早速イラクにいるという公開のネット情報を見て、やはりと思った。
(真偽のほどは不明だが。身内をだますことも仕事だから)
日本人のファンのお友達は、当然単なるお仕事でお出かけと思っているようだ。
オバマ大統領の、イスラム国への対応に対し共和党からの強い批判にさらされ、国防長官を事実上更迭したばかりなので(後任が決まるまで留任)、政治的駆け引きからも、強いアメリカを誇示するために、次の強力な一手準備するはずであろう。
米軍はいよいよ本格的に動き出す準備を始めたのかも知れない。
とりあえずイラクに軍事顧問団を増派するらしいので、その流れの中の活動かも知れないが。
北朝鮮の極限に近い挑発の時に彼らが初来日し動いたように、情報の実行部隊は上からの指示で休みなく日本も含む全世界で様々な工作活動や情報収集をしているのだろう。
イスラム国は、凶暴だ。
無事を祈る。
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