昨日は、父の33回忌ということで久しぶりに摂津にある兄の家まで出かけた。
9歳年上の兄も8年前に、パーキンソン病で亡くった。
義姉も以前から体調不良で、入退院を繰り返している。
兵庫県に住んでいる甥が当主として、私の父の33回忌を仕切った。
関東に住む姪も、来られず親族3名のひっそりとした33回忌であった。
お寺さんが来る前に、お寺さんからのお知らせを見てたまげた。
トータル、十数万円が必要なのだ。
無論私にも経済力はない。
その意味で甥は良くやってくれたと思う。
父が亡くなったのは、春のお彼岸前であった。
肺炎をこじらせ、入院し危篤状態になっていたので、当時健在だった父の妹達も顔を揃えていた。
父は、親族一同に看取られて亡くなった。
いまは、叔母も兄も母もいない。
父が亡くなってすぐに、兄が葬儀屋と打ち合わせ段取りを決めた。
父の実家が天台宗なので、父がなくなったときに、大阪市内の天台宗のお寺が分からなかった。
葬儀屋に任せていると、通夜の席で、僧侶が読むお経が、田舎の法事で聞いているときのお経と違うとすぐに分かった。
天台宗では読経のときに、節回しは入らない。
葬儀屋に問いただすと、違う修派のお坊さんであった。
そのため、急遽天台宗の寺院を探し出し、葬式は天台宗で執り行った。
それ以降、一家は、大阪の下寺町の立派な伽藍もある門跡寺院の檀家となった。
葬儀は、盛大に行われ参加者も、多かった。
当時兄も私もサラリーマンとして働き盛りであった。
兄は、頭取から花輪が届いたことを誇りにしていた。
父の没後、岡山の父の実家のお寺さんにも、兄が主導して、一家でお参りに行ったことがある。
その寺の僧侶と、私の従兄弟が、懇意にしていた。
お寺は、その地域一帯を檀家に持った、大きな寺院であった。
大阪のお寺さんの檀家は近隣の府県にも多くあり、私の住む民家が密集した下町のお寺さんではないようなのだ。
従って、私の想像であるが、お寺さんにも、飲み屋でいうなら、大衆居酒屋と新地の飲み屋との違いがあるのではないかと思っている。
当然、儀式の費用や車代その他も変わるだろう。
その意味では、甥が安定した収入の教員になってよかったと思っている。
私が死んだら独居老人なので、葬儀もなく、無縁墓地に入れてもらえばいいと思っている。
人間死ぬときは、一人で旅立つのだから。
家族がいても、看取られずに旅立つ人も多い。
介護施設や病院でも、家族がいても孤独死するような話は、いろいろ聞いた。
私は、初めから孤独死でもいいと思っている。
100歳近く(出来ればそれ以上)まで、生きるつもりなので、まだそんなことを考えるのは早いが、身辺整理は少しずつして、「たつ鳥跡を濁さず」の状態にして置かねば、と思っている。
というのは、狭い長屋に、沢山の本やその他の物が整理されず、山積になっているためだ。
こうした、ものの多くが、両親の残したものと思って調べてみると、私が買ったものがほとんどであった。
(今の私は、ジムに通い、まだ記録が伸びているのだ。<筋力、持久力が若いときより向上中>)
話が横道にそれたが、兄の家での33回忌法要終了後、車で墓まで移動し、墓にお参りした。
この墓は、父が亡くなる前に兄が購入し作ったものだ。
お坊さんが経木を持って墓に取り付け、皆でお参りした。
墓には両親と兄が眠っている。
父に関する思いでも色々あるが、別のときに書きたい。
法事が終わり、そのまま車で駅まで送ってもらい、梅田に出た。
時間があったので、阪急百貨店の祝祭広場にぶらっと行った。
10階の文具雑貨売り場にも寄った。
そのフロアーをキョロキョロ見回しながら、センスのいい雑貨に見とれながら歩いていると、あるコーナーで作家が、作品の制作販売をしていたので立ち寄った。
そこで、二人のイラストレーター「おざき しょうた」さんと、平島毅さんに出会った。
始めに「おざき しょうた」さんのブースで、その製作技法の独特さとデザインに惹かれ長く話した。
次にぐるっと廻って、平島さんのブースにたどり着いた。
そのイラストと共に、東京藝術大学染色過程の大学院を卒業という経歴に興味を持った。
やはり、そこで長く話すうちに、小さい作品を無料で描きますという話になった。
それで、以前、イタチの親と子が3頭が遊びに来て、子供が梅の鉢の空いたスペースに3頭が川の字になって、気持ちよさそうに腹を付けて寝ていた、という話をした。
その話を、ヒントに描いてもらった。
結局、1000円ほどの小さな額に入れて、持ち帰ることになり、店員さんが額装・梱包してくれた。
描いてもらった絵には5頭になっているが、そのときは母親?と子供の4頭であった。
多分イタチは、子育ては、メスだけでやっているのではないだろうか。
大体イタチのカップルは見たことがなく、見るときは単独こうどうがほとんどだ。
まれに2頭いるのを見かけたこともあるが、多分それは発情期のせいではないかと思っている。
お詫び:文中「おざき しょうた」さんの名前を誤って記載しました。 おざきさんすみませんでした。
9歳年上の兄も8年前に、パーキンソン病で亡くった。
義姉も以前から体調不良で、入退院を繰り返している。
兵庫県に住んでいる甥が当主として、私の父の33回忌を仕切った。
関東に住む姪も、来られず親族3名のひっそりとした33回忌であった。
お寺さんが来る前に、お寺さんからのお知らせを見てたまげた。
トータル、十数万円が必要なのだ。
無論私にも経済力はない。
その意味で甥は良くやってくれたと思う。
父が亡くなったのは、春のお彼岸前であった。
肺炎をこじらせ、入院し危篤状態になっていたので、当時健在だった父の妹達も顔を揃えていた。
父は、親族一同に看取られて亡くなった。
いまは、叔母も兄も母もいない。
父が亡くなってすぐに、兄が葬儀屋と打ち合わせ段取りを決めた。
父の実家が天台宗なので、父がなくなったときに、大阪市内の天台宗のお寺が分からなかった。
葬儀屋に任せていると、通夜の席で、僧侶が読むお経が、田舎の法事で聞いているときのお経と違うとすぐに分かった。
天台宗では読経のときに、節回しは入らない。
葬儀屋に問いただすと、違う修派のお坊さんであった。
そのため、急遽天台宗の寺院を探し出し、葬式は天台宗で執り行った。
それ以降、一家は、大阪の下寺町の立派な伽藍もある門跡寺院の檀家となった。
葬儀は、盛大に行われ参加者も、多かった。
当時兄も私もサラリーマンとして働き盛りであった。
兄は、頭取から花輪が届いたことを誇りにしていた。
父の没後、岡山の父の実家のお寺さんにも、兄が主導して、一家でお参りに行ったことがある。
その寺の僧侶と、私の従兄弟が、懇意にしていた。
お寺は、その地域一帯を檀家に持った、大きな寺院であった。
大阪のお寺さんの檀家は近隣の府県にも多くあり、私の住む民家が密集した下町のお寺さんではないようなのだ。
従って、私の想像であるが、お寺さんにも、飲み屋でいうなら、大衆居酒屋と新地の飲み屋との違いがあるのではないかと思っている。
当然、儀式の費用や車代その他も変わるだろう。
その意味では、甥が安定した収入の教員になってよかったと思っている。
私が死んだら独居老人なので、葬儀もなく、無縁墓地に入れてもらえばいいと思っている。
人間死ぬときは、一人で旅立つのだから。
家族がいても、看取られずに旅立つ人も多い。
介護施設や病院でも、家族がいても孤独死するような話は、いろいろ聞いた。
私は、初めから孤独死でもいいと思っている。
100歳近く(出来ればそれ以上)まで、生きるつもりなので、まだそんなことを考えるのは早いが、身辺整理は少しずつして、「たつ鳥跡を濁さず」の状態にして置かねば、と思っている。
というのは、狭い長屋に、沢山の本やその他の物が整理されず、山積になっているためだ。
こうした、ものの多くが、両親の残したものと思って調べてみると、私が買ったものがほとんどであった。
(今の私は、ジムに通い、まだ記録が伸びているのだ。<筋力、持久力が若いときより向上中>)
話が横道にそれたが、兄の家での33回忌法要終了後、車で墓まで移動し、墓にお参りした。
この墓は、父が亡くなる前に兄が購入し作ったものだ。
お坊さんが経木を持って墓に取り付け、皆でお参りした。
墓には両親と兄が眠っている。
父に関する思いでも色々あるが、別のときに書きたい。
法事が終わり、そのまま車で駅まで送ってもらい、梅田に出た。
時間があったので、阪急百貨店の祝祭広場にぶらっと行った。
10階の文具雑貨売り場にも寄った。
そのフロアーをキョロキョロ見回しながら、センスのいい雑貨に見とれながら歩いていると、あるコーナーで作家が、作品の制作販売をしていたので立ち寄った。
そこで、二人のイラストレーター「おざき しょうた」さんと、平島毅さんに出会った。
始めに「おざき しょうた」さんのブースで、その製作技法の独特さとデザインに惹かれ長く話した。
次にぐるっと廻って、平島さんのブースにたどり着いた。
そのイラストと共に、東京藝術大学染色過程の大学院を卒業という経歴に興味を持った。
やはり、そこで長く話すうちに、小さい作品を無料で描きますという話になった。
それで、以前、イタチの親と子が3頭が遊びに来て、子供が梅の鉢の空いたスペースに3頭が川の字になって、気持ちよさそうに腹を付けて寝ていた、という話をした。
その話を、ヒントに描いてもらった。
結局、1000円ほどの小さな額に入れて、持ち帰ることになり、店員さんが額装・梱包してくれた。
描いてもらった絵には5頭になっているが、そのときは母親?と子供の4頭であった。
多分イタチは、子育ては、メスだけでやっているのではないだろうか。
大体イタチのカップルは見たことがなく、見るときは単独こうどうがほとんどだ。
まれに2頭いるのを見かけたこともあるが、多分それは発情期のせいではないかと思っている。
お詫び:文中「おざき しょうた」さんの名前を誤って記載しました。 おざきさんすみませんでした。