金沢から長岡へ出、そこからさらに只見線を乗りとおして会津若松に着いたのは夕方のこと。
郡山への列車を待つ時間の間に、キハ8500系がやってきました。
只見線の列車が被っていましたので、それが出発してから撮影できました。
会津マウントエクスプレスのHMを付けていますが、実際は鈍行列車です。
ヘッドマークを見ると、「10月14日 鉄道の日」という文字が入っています。
4年前の鉄道の日のころは、失業中の車両でした。
戦前からの歴史を持っていた、名鉄から高山線への直通列車。
その歴史のラストランナーとなったのが、キハ8500系「北アルプス」でした。
JRのキハ85と同じ性能を持つ高出力エンジンを装備し、晩年は定期的にキハ85系と併結運転を行っていました。
しかし利用客の低迷、飛騨高山へ向かうバスとの競合。
バスの方に名鉄が力を入れることになったこともあり、「北アルプス」は廃止の憂き目を見ました。
2001年9月のことです。
それから数ヵ月後、会津鉄道が第二の職場と決まりました。
会津への回送列車には、多くのファンが詰め掛けたそうです。
貫通扉右側の愛称表示部が「会津マウントエクスプレス」になった以外は、形式も含めて名鉄時代のまま。
ただ、名鉄時代は3連が基本だったので、2両では少し物足りない気も。
それで十分なのでしょうけれど。
今回は乗ることができませんでしたが、いつかは乗りたいものです。
郡山への列車を待つ時間の間に、キハ8500系がやってきました。
只見線の列車が被っていましたので、それが出発してから撮影できました。
会津マウントエクスプレスのHMを付けていますが、実際は鈍行列車です。
ヘッドマークを見ると、「10月14日 鉄道の日」という文字が入っています。
4年前の鉄道の日のころは、失業中の車両でした。
戦前からの歴史を持っていた、名鉄から高山線への直通列車。
その歴史のラストランナーとなったのが、キハ8500系「北アルプス」でした。
JRのキハ85と同じ性能を持つ高出力エンジンを装備し、晩年は定期的にキハ85系と併結運転を行っていました。
しかし利用客の低迷、飛騨高山へ向かうバスとの競合。
バスの方に名鉄が力を入れることになったこともあり、「北アルプス」は廃止の憂き目を見ました。
2001年9月のことです。
それから数ヵ月後、会津鉄道が第二の職場と決まりました。
会津への回送列車には、多くのファンが詰め掛けたそうです。
貫通扉右側の愛称表示部が「会津マウントエクスプレス」になった以外は、形式も含めて名鉄時代のまま。
ただ、名鉄時代は3連が基本だったので、2両では少し物足りない気も。
それで十分なのでしょうけれど。
今回は乗ることができませんでしたが、いつかは乗りたいものです。