線路端日誌

東海地方の鉄道を中心に、細かいネタからこつこつと。

5/25 日車メモリアル車両広場

2024年06月23日 22時00分00秒 | 保存車両
モ811以外にも保存車両を見ることができました。


58623。道路からでは足回りまで見られない


最初期のボルスタレス台車


22-2029。最末期の編成番号が残っているのは嬉しい




東海道新幹線で最後まで残ったのはYK編成とNH編成だった


パンタグラフカバー


上野動物園モノレール。営業運転に使用されたのは10年にも満たなかったようで…

日の短い時期に見てみたいものですが・・・


12/23 旧名鉄美濃駅

2015年02月20日 20時00分00秒 | 保存車両
ナガラ10さよなら運行の合間に、旧名鉄美濃駅を覗いてきました。


駅舎は現役時代からあまり変わらず


左から、モ87?、モ601、モ512、モ593

駅構内では、モ513、モ60、モ593、それにモ870形(車号は?)の前頭部が展示されています。モ870以外はいずれも車内に入れますが、モ51とモ60は催事に使用するためなのか座席が見事に撤去されており、美濃町線現役時代を偲ぶにはモ593が一番良い状況でした。


モ593車内

シートが無い車内の写真を載せても寂しいので、運転台の写真を並べていくことにします。


モ593運転台


モ601運転台。貫通扉にマスコンやスピードメータ等が取り付けられている


モ512運転台。動態保存だった3両のうち一足先に退役した車両だったためか、電子ホーンのボタンが無い

報道によると、モ512は今年3月から1年間の予定で大野町に貸し出され、「黒野駅レールパーク」(旧黒野駅)で展示される予定とのことです。谷汲と合わせて見に行きたいところです。

12/19 明治村:京都市電

2010年12月26日 22時25分03秒 | 保存車両
陸蒸気と名古屋駅で連絡し、村内の南東端の品川燈台駅までをカーブしながら走っているのが京都市電です。


Ωカーブをまわって名古屋駅へと向かうNo.1

No.1(←N8)とNo.2(←N15)の2両がいるうち、終日No.1が運行されていました。No.2は品川灯台駅で「車両整備中」の紙が貼られた状態で留置されていました。


No.1 京都七條にて


No.2 品川灯台にて

この京都市電、明治村での運行開始にあたっての整備は名鉄岐阜工場で行われました。いつだったかの鉄道ピクトリアル誌に載っていたのですが、整備が終わってからお披露目として岐阜市内線を走らせたら、そんな古いものを走らせるなと岐阜市長にクレームをつけられたという小話があるそうです。路面電車廃止決議まで議会で行われた頃の話です。


京都七條から品川灯台へ向け発車。係員が歩行者を制止している


最終列車到着後、折り返し回送のためにポールを回したところ

京都市電は名古屋駅から京都七條までの区間列車(通常通り)が最終列車となり、乗客を降ろすと名古屋駅の方へと去っていきました。SLもこちらも、あくまで再開前提の運休であるということで、特にセレモニーは行われなかったようです。短い距離ではあっても、移動手段であるという鉄道本来の性格もある明治村の動態展示、同じ形で再開されることを期待します。

12/19 明治村:陸蒸気

2010年12月26日 21時22分23秒 | 保存車両
12月19日の運行をもって、博物館明治村で動態展示されていた「京都市電」と「陸蒸気」が運行休止となりました。老朽化による経年劣化の進行状況を調査するためのもので、再開時期は未定との発表がされています。


SL東京駅での機回しシーン

ひとまずの最終日となった19日に見てきました。北口に近いSL東京駅と村の中央部にあるSL名古屋駅との間を走る「陸蒸気」は、←名古屋 ハフ14+ハフ11+ハフ13 東京→と組まれた客車3両を12号機関車が牽いていました。12号機関車は明治7年(1874)、ハフ13と14は明治45年(1912)、ハフ11は明治41年(1908)の製造で、それらを“現役”で使っているのですから驚きです。

上の写真を撮影後、名古屋駅まで乗りましたが、非常にゆっくり走ること、シートのクッションが効いていたことからか、2軸車のゴトゴトとした感じはあまりありませんでした。バッファのおかげか発車時、停車時の前後衝動が非常に小さかったことも印象的でした。


SL名古屋ーSL東京にて


折り返し東京行き

菊の世酒造横に整備された撮影ポイントがあり、そこから走行写真を撮影することができるようになっていました。編成がすっきりと入るのは良いのですが、名古屋行きの場合は良い具合のシャッターポイントに差しかかる寸前で煙を出さなくなってしまうことが多く、もどかしい感じでした。



転車台は東京、名古屋両方の駅にありました。時刻表によれば折り返し時間は5分となっています。その間に切り離し、方向転換、再連結が行われる慌ただしさに限っては現代的でした。

京都市電は次の記事へ。

2010年9月北陸(2) 伏木にて

2010年09月15日 23時06分21秒 | 保存車両


今回の北陸訪問の主目的は、JR貨物伏木駅のヤードで行われた保存車両の公開イベント「伏木ヤードまつり」でした。主役のケキ102の他にも様々な車両が集められ、展示されていました。


北鉄ホム1 デモ走行の前の姿

解説文によれば、1914(大正3)年に小倉鉄道が筑豊地区で使用する石炭車として製造され、1950年代に砂利運搬用で西武鉄道、1965(昭和40)年に近江鉄道、そして1967(昭和42)年に北陸鉄道へと譲渡されるという道のりを辿ってきた車両だそうです。

私には鶴来駅構内に留置されていたイメージが強い車両です。個人所有になっているのを北陸ロジテクスが保管しているとの記述がありましたが、今後が気になります。


万葉線デ7052

万葉線の車両は2両、デ7052とデ7062が中に入れる状態で展示されていました。そのうち、デ7052は加越能鉄道時代の塗装が復元されていました。今の万葉線塗装や広告塗装に比べると地味ですが、落ち着いた感じで良いです。


北鉄金沢市内線モ2202(→名鉄・福鉄モ562)

復元途上の北鉄金沢市内線の車両も展示されていました。
名鉄・福鉄時代に車号が貼り付けられていた正面右上の部分が切り抜かれています。方向幕まで復元されるようです。


元静岡鉄道清水市内線モハ65

北陸とはゆかりのない車両もいました。解体されるところだったのを逃れ、一時保管&保存作業のために伏木へ運ばれてきたそうです。


協三工業製20t入換DLを先頭に保存車がズラリ

入換用の小型DLも数多く展示されていました。


協三工業製10t貨車移動機

以上、全部ではありませんが載せてみました。

天気が良かった分、画面左上のゴミが目立つ結果になってます。帰ってきてから気づきました…

旧・谷汲駅のモ755・モ514

2010年04月18日 21時34分20秒 | 保存車両
樽見鉄道谷汲口駅から3キロほど西に、2001年10月1日付けで廃線となった名鉄谷汲線の谷汲駅があります。ここで、末期の谷汲線で活躍した2両の電車が保存されています。


全景。桜、菜の花が咲いていた

廃線後、2002年からモ750形755の保存が始まり、600V線全廃後の2006年からはモ510形514が保存車両に加わりました。展示場所には、現役時代には無かった上屋が設けられています。


モ755


谷汲方にはスノープロウが取り付けられていた

写真では分かりづらいですが、前照灯、尾灯が点灯されていました。


モ514

保存当初、モ514はモ755と同じ線路に入っていましたが、2006年8月からは現在の2番線へと移りました。人力による作業だったと、当時の新聞で読んだ覚えがあります。

この日はモ755の車内が公開されており、現役時代そのままに残っていることを確かめることができました。木とニスの匂いのする電車、私は僅かな時間しか現役時代を体験することはできませんでした。椅子に座っていると、もっと走っている時に乗って、揺られてみたかったという思いがします。

谷汲口駅の保存車・オハフ502

2010年04月18日 13時14分39秒 | 保存車両
樽見鉄道谷汲口駅に、桜に囲まれたオハフ502の姿が在りました。


オハフ502


解説板


銘板

少し前まで樽見鉄道の名物でもあった朝ラッシュ時や多客時の客車列車ですが、その初代がこのオハフ502を含むオハフ500形でした。国鉄オハフ33形を全部で4両購入して使用したもので、入線当初は青に赤帯のレールバス塗装となって活躍し、後に塗装変更されて茶色+赤帯のレトロ塗装で廃車となりました。

他社に現役車が有るぐらいですから希少度は低いのかもしれませんが、樽見鉄道黎明期の歴史を語る車両です。名鉄谷汲線谷汲駅と一緒に訪れてみてはいかがでしょうか。

鞍ヶ池公園のモ805-ク2313

2009年12月11日 19時13分22秒 | 保存車両
瀬戸線での撮影後、豊田市の鞍ヶ池公園で保存されている名鉄モ805-ク2313を見に行ってきました。


モ805が南側を向いた形で置かれていた

鞍ヶ池公園は豊田市駅からバスで北東へ40分ほど行ったところにある広大な公園です。バス停を降りてから、一瞬どうやってたどり着けばいいのかと思ってしまいましたが、すぐ近くに案内板があったので一安心。バス停から、道路を東へ5分ほど歩いた所に保存車両はありました。

南から、モ805-ク2313の1編成が保存されていました。解説板によると、モ805は昭和10年、ク2313は昭和13年に製造され、豊田線の試運転に使用された車両だったという縁から1983年の引退後保存されたそうです。

…どうもモ805が昭和10年製というのは誤りのようです。「知られざる名鉄電車史 2」(『鉄道ピクトリアル』2007年8月号掲載)によれば、800系は他車の電装解除や番号空白の穴埋めによる改番が何度か行われたそうです。その記事の中の変遷表によれば、現在保存されているモ805は、昭和11年に増備されたモ810が他車の制御車化によって空白となっていた番号を埋めるため行われた改番で805となった車両だと思われます。


反対側・ク2313

外から眺めるだけでなく、車内に入れるようにもなっていました。


モ805車内

木の匂い、赤いシートモケット、節でデコボコの床板。いい雰囲気でした。
名鉄のAL車は、私はせいぜいモ811で僅かに体験できた程度なのですが、懐かしさを感じました。

中京競馬場のパノラマカー

2009年11月21日 23時12分40秒 | 保存車両
中京競馬場内に保存されている7027Fを、先週見てきました。休憩所・軽食販売店「ビュッフェパノラマ」として利用されており、保存されている3両すべて、中に入れる状態でした。


モ7028側

保存されているのはキ7028-7092-7027トの3両。現役時代末期は4両編成でした。自動解結装置が付いていたのですが、保存にあたって取り外されたようです。


モ7092車内

中間車のモ7092号は、座席撤去のうえビュッフェとなっていました。メニューは予想よりも豊富。


テーブルが増設されていた

その前後、7027、7028の車内は、現役時代に近い形で残されていました。休憩室としての利用に合わせてか、写真の通り、小さなテーブルが各座席の壁面に設置されています。転換クロスシートは稼働状態でした。


7027側

できなくなったのでは、とデマが流れていましたが、モ7027の運転台に入ることもできました。歩こうとすると思った以上に天井が低い感じですが、席に座ってしまえばそれほどでもありませんでした。


運転台まわり


足元のペダル

ミュージックホーンも、ペダルを押すとちゃんと鳴りました。締めの電笛が、やや安定しない感じでしたが。

佐久間レールパーク

2009年06月10日 20時21分11秒 | 保存車両
先々週、佐久間レールパークへ行ってきました。


現在の並び


クモハ12054


反対側


クモハ12054の車内も公開されていた


キハ48036


流電


ソ80-180


ED62 14+保存客車


オハ35 206


オハ35 206車内

展示車両の検査表記は、いずれも営業用として走っていた時代のものが記されていました。これらのうち新博物館へ行くものはどれなのか、それ以外はどうなるのか、今後が気になります。