老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

お彼岸前の四天王寺へ

2024年09月16日 20時06分34秒 | 散歩中に見かけた風景
 お彼岸を前にしてまだそれほど混まない内にと四天王寺にお参りしてきました。

 先ずいつも通る石の鳥居の扁額がいつもと比べて非常に目立ち、お彼岸前に清掃でもされたのかと思いましたが、いつもはそんなに気にしていない扁額のことが少し気になりました。

  この石の鳥居は、四天王寺の西門に当たる西大門(極楽門)のまだ外側にあるのですが、「釈迦如来 転法輪処  当極楽土 東門中心」の文字が浮き彫りされた扁額が掲げられています。
この意味は<この地は釈迦如来が現れて説教された場所で、極楽浄土の東門に当たる>という意味だそうです。

 また、私も当初はお寺に鳥居が立っているのはちょっと奇異な感じがしましたが、鳥居はもともとインドの聖地結界を示す門で、神社に限ったものではないという事のようです。
この四天王寺の鳥居も、ここからは釈迦の聖地であるという指標のようですが、最初は木の鳥居だったのが、鎌倉時代末期に石造りに改められたといわれています。

  尚、ご存じの方が多いと思いますが、この『日本書紀』によれば四天王寺は推古天皇元年(593年)に造立が開始され、聖徳太子が建立したといわれています。
 周辺の区名、駅名などに使われている「天王寺」は四天王寺の略称のようです。
 天台宗に属していた時期もあったが、日本仏教の祖とされる「聖徳太子建立の寺」であり、既存の仏教の諸宗派にはこだわらない全仏教的な立場から、1946年(昭和21年)に「和宗」の総本山として独立しました。

   また、前にもふれたように、我が家では祖父母と両親の納骨をお願いしていますが、個別のお墓があるのではなく布袋堂の横にある納骨総祭塔という所に合葬されているのですが、この納骨総祭塔はある程度の収容基準があるようで、数年ごとに新しい塔が増えていきます。
 
 先月のお盆前にでも新しく建立されたのか、今日行くと今迄お参りしていた塔の横に新しい塔が作られていて、危うくお参りする塔を間違える所でした。

 
 お参りの後は、例によって天王寺公園の水生園に立ち寄りましたが、いつもはこの時期に見られるヒガンバナがもう枯れてしまっていて、代わりに(?)ナツズイセンが咲いていました。
今年の異常な酷暑の為に植物界でも色々な影響が出ているようですね。

 その後、天王寺公園を経由して帰りましたが、テンシバではビール祭りが開催されていて、結構な人出でしたが、四天王寺を出た所のうどん屋でビールで喉を潤してしまっていたので、此処では飲むのを見送りました。(まさ)

※ この項は<林豊氏の「四天王寺散歩」>を参考にさせていただきました。

<四天王寺>

石の鳥居 奥に見えるのが西大門(極楽門)と伽藍

鳥居の扁額

納骨総祭塔 左側が新築されたもの

<天王寺公園 水生園>

枯れてしまったヒガンバナ

ナツズイセン(ヒガンバナ科)

同上

ヌマスギの気根

ミソハギとガマの穂

<天王寺公園 テンシバ>

賑わうビール祭り

同上のポスター

<今日の夕食>
帰途に天王寺の近鉄百貨店に寄ると、北海道物産展をやっていて、思い切ってカニ飯を購入しましたので、海の幸中心の豪華メニューの夕食なりました。 

玉子豆腐/カニ飯/ノドグロ干物/野菜炒め/酢の物/メカブ

カニ飯 我が家でカニを食べるなんて、何年振りでしょうか

ノドグロ  小さなノドグロでしやが美味しかった

キュウリ/チリメン/ミョウガの酢の物

ナス/ピーマンの炒め物 味噌味です



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