老いの途中で・・・

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ややこしい日本語 その(66) 「あほ・あほう」と「ばか」考  その② 語源など

2024年09月12日 19時00分51秒 | 面白い言葉や語源など
 色々と話題の尽きない「あほ・あほう」と「ばか」ですが、その語源についても諸説あるようです。

 まず、「あほ・あほう(阿呆・阿房・阿保)」についてですが、

①阿房宮(あぼうきゅう)」を語源とする説
 阿房宮とは、中国「秦」の”始皇帝”が建設をはじめた大宮殿で、計画では東西約680メートル、南北約113メートルで、1万人が座ることができるほど大きなものになる予定でしたが、多くの人と時間、財をかけたのに完成しませんでした。
 始皇帝が死んだあとも、2代目の皇帝”胡亥”によって工事は続けられますが、紀元前207年に未完成のまま「楚」の”項羽”に焼かれてしまいます。
 このことから、おろかなことの象徴として「阿房宮」は日本でも周知されるようになり、おろかなこと・おろかな人を意味する言葉(語)の「阿房(あほう)」が生まれたとする説です

②「アタイ」を語源とする説
 中国の江南地方で使われていた方言に、「阿呆(アタイ)」という“まぬけ・おバカな人”を意味する言葉があり、「阿呆」として日本に伝わり、日本語の読みに変換されて「阿呆(あほう)」が生まれたとする説です。

③「をこ」を語源とする説
 “おこがましい”の語源となる「をこ」が、音変化して「あほう」になったとする説です

 次いで「ばか(馬鹿)の語源」については
①馬と鹿説
 秦朝の時代に、始皇帝の死後あとを継いだ子の”胡亥”に仕えていた、宦官(かんがん)の“趙高(ちょうこう)”がクーデターを起こし、胡亥を殺しますが、この時、廷臣のうち自分の味方と敵を判別するため一策を案じました。
彼は宮中に鹿を曳いてこさせ『珍しい馬が手に入りました』と皇帝に献じた。皇帝は『これは鹿ではないのか』と尋ねたが、趙高が左右の廷臣に『これは馬に相違あるまい?』と聞くと彼を恐れる者は馬と言い、彼を恐れぬ気骨のある者は鹿と答えた。趙高は後で、鹿と答えた者をすべて殺したという。

②サンスクリット(梵語)説
 サンスクリット語で「癡、愚か」を意味するmohaの音写である莫迦の読みからくるとする説。僧侶が使っていた隠語であって馬鹿という表記は後の当て字であるとする。江戸時代の国学者天野信景が提唱した説であり、広辞苑をはじめとした主要な国語辞典で採用されている。
 同じサンスクリット語のmahallaka(摩訶羅:無知)(新村出、石黒修)、あるいはmaha(摩訶:おおきい、偉大な)を語源とする説もあるようです。
 バングラデシュの公用語であるベンガル語でも「バカ」という単語は日本語と同じく愚かな者を指す。ベンガル語はサンスクリットを祖語とする。

③周利槃特(チューダ・パンタカ)説
 仏陀(釈尊)の弟子のなかで、一番頭が悪く、愚かだといわれていた周利槃特(チューダ・パンタカ)の名に由来するとする説。

⓸若者説
「若者(wakamono)」のw音がb音に転じて「馬鹿者」となったとする説。

⑤破家説
 禅宗の仏典などに出てくる破産するという意味の「破家」と「者」をくっつけて、「破産するほど愚かな者」というところから「馬鹿者」という言葉が生まれたとする説。東北大学の佐藤喜代治によって提唱され、日本国語大辞典で採用されている

⑥馬家説
 中国にいた馬という姓の富裕な一族が、くだらぬことにかまけて散財し、その家が荒れ放題となったという白居易の白氏文集にある詩の一節から生まれたとする説


 このように語源については諸説あるようですが、共に中国のかつての王朝「秦朝(紀元前221~紀元前206年)」に関係するという説があるのは面白いですね。(まさ)

※ この項は、<goo辞書><WIKIPEDIA)><語源由来辞典><掃除道場>などを参考にさせて頂きました。




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