老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

被害者の気持に寄りそう政治を!! 

2016年12月30日 20時23分26秒 | 政治・経済・環境・核兵器など
 先日の安倍総理のハワイ訪問の件については以前にも触れたので、これ以上はよそうかと思いましたが、これに同行した稲田防衛大臣の馬鹿さ加減には呆れかえり、つい書き込まずにはおられません。
何と、ハワイから帰国すると直ちに靖国神社参拝へ…

 靖国神社参拝について聞かれたマスコミに対しては、
“未来志向に立ち、しっかりと日本と世界の平和を築いていきたいとの思いで参拝した“ “いかなる歴史観に立とうとも、祖国のために命をささげられた方々に敬意と追悼の意を表することは、どの国でも理解される。忘恩の徒になりたくない”と安倍首相のコピー版のような立派な言葉です。

 でもその前に、もっと大事なこと、即ち“人間としての真心”が抜けているのではないでしょうか。

 靖国には戦争に従軍して戦死を余儀なくされた人達だけでなく、太平洋戦争ひいては東・東南アジア各地を戦争の舞台とした戦争の指導者や各地で残虐行為を指導したいわゆる“戦犯者”も合祀されていることです。

 即ち、ここに参拝するということは、単に国や家族の為と思い従軍し戦死した人だけでなく、彼らや国民を誤った方向に導いた戦犯者も同列に扱うことになります。そこには戦争を起こした結果として、一般国民や、米国だけでなく東・東南アジア各地や豪州を含む南太平洋などの住民を巻き込んだことをきれいきっぱりと無視していると非難されても仕方ないでしょう。

 今回の真珠湾訪問直後の稲田大臣の靖国参拝、並びにこれを認めた安倍首相を見ていると、真珠湾で安倍総理が口にされた“ここから始まった戦いが奪ったすべての勇者たちの命に、戦争の犠牲となった数知れぬ無辜(むこ)の民の魂に、永劫(えいごう)の哀悼の誠をささげます。” “戦争の惨禍は二度と繰り返してはならない。私たちは、そう誓いました。そして戦後、自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを貫いてまいりました。”という言葉の空虚さを改めて感じるのは大きな皮肉ではないでしょうか。

 即ち、安倍首相や稲田大臣の胸にあるのは戦争に従事した“勇者”(軍人)だけであり、例え口では同じように並べられても、戦争で被害に巻き込まれる一般国民や、ましてや戦場となった東・東南アジアや太平洋各地での日本軍の犠牲になった住民への思いは、殆ど感じられません。

 安倍首相の今回の真珠湾訪問は、オバマ大統領の広島訪問への返礼という表向きの行事だけでなく、「真珠湾の訪問で過去の戦争に完全に決着がついた」というレトリックで、「戦後の終焉」「過去の清算」の宣言のように思われるのですが、本当の意味での“戦争被害者への思い”が感じられない以上は、全てが自分に都合の良いうわべだけの行為としか思えません。
 形だけの“忘恩の徒になりたくない”という言葉よりは、“被害者を思いやる人間としての道”の方がより大事なのではないでしょうか。

 年末に当っても、このような悲しいことを書かずにはいられないのは、非常に残念です。(まさ)

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