老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

フランシーヌの場合

2019年04月19日 19時41分39秒 | その他
 ある時突然に、長い間忘れていたメロディーが不意に浮かんでくる、というような経験をされたことがあると思います。

 私にも時々このようなことがありますが、先日浮かんできたのは昔のフォーク・ソングの「フランシーヌの場合」という曲のメロディーで、その後何度となく浮かんでくるようになりました。

 確かに、若い時に慣れ親しんだ曲で、歌詞もある程度は覚えているのですが、詳しい歌詞の内容やや歌手名等が想い出すことができませんでした。

 そこで、改めて調べてみると、この曲は、いまいずみあきら作詞、郷伍郎作曲で、1969年6月に発売された新谷(しんたに)のり子のデビューシングルでした。

 この曲が生れた経過としては、WIKIPEDIAによると、1969年3月30日の日曜日、パリの路上でフランシーヌ・ルコントという当時30歳の女性が、ナイジェリアから独立宣言したばかりのビアフラの飢餓に抗議して焼身自殺しましたが、これを報じた新聞記事を見たCMソングの作曲家でもあった郷伍郎が、この記事に触発されて『フランシーヌの場合』を作った曲のようで、歌詞は下記の通りです。

   フランシーヌの場合は あまりにもおばかさん
   フランシーヌの場合は あまりにもさびしい
   三月三十日の日曜日
   パリの朝に燃えた いのちひとつ
   フランシーヌ

 音楽音痴の私にでも覚えられる優しいメロディーと、特異な歌詞でこの曲はあっという間に広がり、この曲は何と80万枚も売り上げがあったようです。

 それには当時の時代背景も大きく関わっていると思います。

 即ち、この曲が世に出た1969(昭和44)年は、学生運動が非常に盛り上がった時でした。
 高度経済成長の裏で激化の一途をたどっていた学生による第二次反安保闘争。それと時を同じくして、全国の国公立・私立大学において授業料値上げ反対・学園民主化などに端を発して、新左翼と呼ばれる各大学の全共闘や学生が武力闘争を含める学園紛争が各地で起こっていて、1969(昭和44)年1月には有名な「東大・安田講堂事件」が起こりましたし、ベトナム戦争、沖縄闘争のうねりの中で、アングラ・ソングとか反戦ソング、或いはプロテスト・フォークと呼ばれるフォーク・ソングが全盛の時期でもありました。


 今頃になって、なぜこのメロディーが突然に浮かんできたのか、心理学に詳しくない私には非常に不思議ですが、よく考えてみるとこの時期は私にとっても大きな曲がり角を迎えていた時でした。

 というのは、既に社会人になっていて、担当している仕事が面白くて仕方ない一方では、会社の利益第一主義に対する倫理的な嫌悪感のようなものが生まれてきていましたし、既に家庭を持ち子供もいる立場でしたが、今までの学生運動とは異なる新左翼と呼ばれる若者の思考回路に共感する部分が非常に多かったです。

 そして、この世代の若者の精神的なバックボーン的な存在であった高橋和巳の著書を読み漁っているような状況で、彼らの活動に直接関われないことを忸怩たる思いでいると共に、今後の進み方に大きく悩んでいる時でもありました。

 ということで、この曲が流行った時期は、丁度私自身の大きな曲がり角というべき時で、ツレアイの認知症という現実に向き合っている現在の私とどこか共通する部分もあるのかもと思ったりしています。


 何れにしても、この曲は当時に色々な悩みを抱えていた我々世代の多くに、忘れられないというか、当時を思い出させる曲の一つであることは間違いないでしょう。(まさ)