老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

町内大掃除の記憶

2017年04月28日 19時38分36秒 | 高齢化社会での生活・終括・社会保障など

 今では大掃除と言えば、年末の家の掃除ということになるのでしょうが、S16年生まれの私には、この時期になるとまだ私が小学生だった頃の春の大掃除が思い浮かびます。

 その当時、私は戦争が終り疎開地の兵庫県宍粟郡山崎町(現在は宍粟市)から引き揚げて、神戸市灘区の家に住んでいたのですが、確か毎年5月上旬になると町内一斉の大掃除日というのがあり、全戸が掃除に取りかかりました。

 それは、一斉大掃除という名に相応しく、

・各家から畳を持ちだして、家の前の道路に2枚づつを立てかけて干すと共に、竹棹で叩いて埃を出す。
(その時に、畳の場所を間違えないように、裏にチョーク等で「6畳西南」とか「6畳東北」とかの記号を書いておくことが大事でした)

・家では、女性陣が家中をハタキで埃を出すと共に、雑巾をかける。
一方男性は、畳を持ちだした後の床板を外して、下の土を乾燥させたり、石灰などを蒔く。

・その後、床板を戻し、畳の下に敷く新聞紙を取り換えた後、陽に干した畳を記号通りに敷き戻す。
(そして、その際に畳の表替えが必要なものをチェックしておき畳屋に依頼する)

という大掛かりなもので家族全員が揃って協力する事が暗黙の前提でした。

 この習慣は確か秋にもあったと記憶しているのですが、インターネットで調べても、私の記憶にあるこの大掃除にはヒットできません。

 僅かに見つかったのは、住宅建材等に関する大手前学院などの論文の中で、
・関西では毎年1~2 回、特定日を設けて、町内一斉に「大掃除」を実施した。
畳を上げて屋外で日光を当てて干し、床板をはずして床下を乾燥させる作業の主目的は居住者の健康維持であったが、住宅の健康維持にも寄与する優れた社会的慣行ともなっていた。

・戦後しばらくは、各町内で夏の大掃除の日が決められ、畳をあげて陽に干し、正月前には街角で畳表を張り替える様子がみられた、町内一斉の大掃除の習慣がなくなり、畳を干す場所を確保することも難しくなった。畳は適切な手入れがされなくなり、次の世代に畳の維持管理の知恵が受け継がれにくい状況がある。
などの記述です。


 このように木造住宅や畳の維持の為に、昔から好天で湿気の少ない初夏や秋に地域ごとの大掃除の日が設定されていたと思うのですが、それ以外にも戦後間もなくまでは、日本の保健・衛生事情も余り良くなく、健康保持の為にも大事な慣習だったのだと思います。

 戦後は、団地形式の住宅の普及や街の近代化の為に、一般道路を利用してのこのような風景は見られなくなりましたが、私にとっては懐かしい原風景の一つです。(まさ)