●今日は一日梅雨らしい、うっとうしい一日です。東京の感染確認者は24人とか。まあ、菌はいなくなったわけではないので、人口規模からいってこのフライの人数は想定内。私のみたては、緊急事態解除後の感染確認者は、元々このぐらいの人数を想定していたでしょう。瞬間的に人数が増えたら「東京アラート」を出すのも予定通り。アラート解除し、昨日の自粛のステップアップ解除も、予定通りでしょう。小池都知事は選挙をにらんですべてを計画通りに進めていると見ています。すべてが自作自演と思わせるように思います。これで有権者はこっろと…されるでしょうね。
●今朝の毎日新聞の「今週の本棚」に、大学教授の中島岳志(政治学)氏が石井妙子著「女帝小池百合子」の書評を載せています。小池氏の人となりについて、この本に書かれている内容をドキュメンタリー調に解説しています。芦屋での子どものころ、学歴疑惑が指摘されているカイロ大学時代、キャスターから政治家。一貫しているのは嘘で固められた…。書評の最後に、「彼女を古くから知る人は言う。『彼女は白昼夢の中にいて、白昼夢の中に生きている。願望は彼女にとっては事実一緒』。私たちは小池の蜃気楼(しんきろう)を見続けているのだろうか。民意とは何か。民主主義とは何か。都知事選挙を前に深く考えさせられた。」と結んでいます。政治が「コロナを国難」と強調するが、私は「国難を強調する」だけで、適切適格に対応できずにたじろいでいる政治が国難ではないかと思う今日この頃です。小池知事の自作自演は危険です。
●昨日のブログに、ご意見をいただきました。私の判断(専決処分の承認に反対)を支持した人と批判的だった人が半々でした。支持された人はひいき目かもしれません。私の報告会や議会傍聴されたている人。また行政で財政や議会事務局を経験された人でした。否定的な人のご意見は、コロナ対策はスピード。邪魔をするなと言うご意見です。普通の市民から見れば「結果」がすべてでしょうから、民主主義がどうのと言っても、なかなか理解はできないでしょう。当然です。そういうご批判が出るだろうという思いはありました。しかし、あえて言い訳をさせていただくと、「スピード」についてです。政策決定のスピードは大切です。それを言えば、今回の予算では、いま慌てて専決処分するのではなく、4月末に事業化すべきものだったのではないでしょうか。
●私は、コロナのことで最近特に違和感を持っているのは、政治の側から発生られる言葉です。安倍総理が好んで使う「国難」。それに応えるように「戦時」ということばも増えています。「スピード感」ということばもそうです。そしてコロナ対策の「見せる化(見える化ではない)」も増えています。この傾向は、国政から地方へと伝播しています。地方の首長も議会も、コロナ禍は国難。スピート感をもって対策を…。このため議会は活動を自粛することが、コロナ対策と思っているようにすら感じています。学校の休校も、本来法で教育委員会に決定権があるのに、総理や知事・市町村長が先行して発表する。まさに同調圧力と思われる状況が続いています。まさに先の戦争時の大本営を思わせます。戦争を題材にした「失敗の本質」を事例に、似た状況が起きていると警鐘を鳴らす識者も増えています。官僚は、特定の起業を優遇し発注する事例も増えています。今こそ、監視機関である「議会」がしっかりしなければならない時と。気を引き締めています。