四輪クドウの独り言

見えたまま、聴こえたまま、感じたまま…

女性熊本市議「赤ちゃんと一緒」に本会議場へ。議会も時代に柔軟対応必要。佐藤さん「語らない罪」含蓄ある

2017-11-23 12:12:40 | 日記

●昨日、熊本市議会で、女性議員が赤ちゃんを抱っこして本会議場に入ったことで、議長や議会事務局がおおあわて、40分開議が遅れたことをテレビのニュースで見ました。同じ立場にいるものとして、出来れば事前に話し合うことがよかったと思いますが、問題提起としてはこのようなやり方でもしないと、なかなか「扉」は開かないと思います。外国では、子どもを連れて議場に入ることを認めているようです。子育て中の女性だけでなく、男女の別なく働きながら議員ができるなど、生活に係る政治が地方議会であるので、これまでの慣習にとらわれることなく、議会の仕組みを柔軟に変えることは必要な時代です。

    

●議会を休日・夜間に行う。議会活動休暇を企業が認める(法整備)。議会事務局スタッフを増やし、議員の調査活動(政務調査)をサポートする。インターネットを使った議会の開催や、メール(文書)で質問しメールで回答する(文書質問の拡充)など、改善の方法があるように思います。地方議会の経費は、予算(一般会計)の約1%前後です。この1%の財源使って、予算の使途の99%を監視し、検証しています。職員の給料は予算の約3割前後でしょうか。予算の3割前後使って仕事している職員こそが、生活者(市民)与党になれば、ずいぶんと地域の政治は変わるんでしょうね。実態は市長与党の職員(地方公務員法で決められているようですが…)と議員の市長与党が合体すれば、日本全国が「森友・加計学園」状態になるのでしょうね。記録がない、記憶がない…どっかのまちの新庁舎やホテルも…。

●FBの友達の佐藤修さんが、次のような意見を載せています。「語らない罪」についてです。これを読み、議会での答弁者が、このようなことになることが多く、この罪の重さをどうすべきか。少々長いですが、読んでください。

「日馬富士の「暴行」事件が連日、テレビを賑わせています。 私自身は、日馬富士にとても同情的です。 テレビが盛んに煽り立てているような気がしてなりません。 たしかに「暴力」はいけないかもしれませんが、スマホを見ながら相手を無視するのも「暴力」の一種です。 ビール瓶と聞いた時にはさすがに私も揺らぎましたが、平手でも力士の平手は「凶器」になるという発言を聞いて、逆に考えれば、ビール瓶も力士には「凶器」にならないかもしれないとも思いました。 一方で、元貴の花親方が協会を相手にせずに、警察に届けたという行動にもとても共感します。 しかし、その後の沈黙にはまったく共感できません。

今日、書きたかったのは、日馬富士事件ではありません。 「語らないことの罪」です。 私の数少ない信条の一つは、「嘘をつかないこと」です。 自らに嘘をつかないという意味ですが、他者への嘘もよほどの事情がなければついてきませんでした。 そのために、逆に「嘘をついている」と思われたこともあります。 嘘をつかないことはとても難しいことですが、それ以上に難しいのは、語るべき時に語らないことかもしれません。

幸いなことに、私自身は「語るべき時」にあまり出合したことがないのですが、今回の事件に限らず、語るべき時に語らない人があまりに多いことが気になっています。 いままた話題が再燃している森友学園事件で言えば、語るべき人で語ったのは前川さんと籠池さんくらいで、後の人はほとんど「語るべきこと」を語っていないように思います。 語らないことのほうが、たぶん生きやすいのでしょう。 語らないまま、そして証拠物件を隠ぺいしたとさえ思われながらも、国税庁長官に抜擢された佐川さんのような人もいます。 彼は、語らないまま人生を終えるのでしょうか。 私には実に惨めな人生のような気がします。

安倍首相夫人の昭恵さんは、付き合いのある友人たちからは、とても素直な善なる人だとお聞きしていましたが、その昭恵さんもまた「語るべき時」に「語るべきところ」で語っていません。 とても残念です。

語らないといえば、前の太平洋戦争のことを体験者はあまり語りたがらなかったようです。 それほど強烈な体験だったのでしょう。 しかし、少しずつ、語りだす人が増えています。 私も何人かの方から戦争の体験談を書籍にしたものをもらっています。 それを読むと、語りたくなかったことがよくわかります。 でも語らなければいけない。 私はそう思います。 体験した当事者が、辛いだろうが語ることが大切だろうと思います。 そしてその内容がどんなものであろうが、感情的にではなく、冷静に聞いて判断していく寛容さを聞き手は持たなくてはなりません。 当事者たちがもっと素直に語りだしたら、いい方向に解決していくことはとても多いように思います。 語るべき人が語らなかったために、真珠湾攻撃も実行され、避けたかった日米開戦に至ってしまった。 語るべき人が語らなかったために、チャレンジャー号は爆破し、福島原発は悲惨な事故を起こした。 「語らないことの罪」を、私も改めて心に留めようと思います。 語るべきことを、語らないまま墓に持っていくことは、決して美徳ではない。 みんながもっと語りだせば、社会はきっといい方向に向かっていくでしょう。 ますます語らない時代に向いているなかで、改めてそう思います。」

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