ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

「ながら」ですることが、効率的になる。

2014年06月15日 | Weblog
「ながら」ですることが、効率的になる。
「ネットアスリートの時間術」茂木健一郎著より。

子どもの頃は、よく「ながら」はよくないと言われたものだった。テレビやラジオを聞きながら勉強したりすることだった。それは集中できないからだ。

しかし、人によってはそのほうが集中できるという人もいるようだ。私はやはりながらは苦手だった。今では勉強ではないが、二つや三つのことを同時にすることは効率的になったらようだ。

筆者の経験が語られていた。かつてラジオ番組でサッカーにちなんだ曲を流す世t芸だったが、どうもいい曲が思い浮かばなかったという。そこでディレクターがツイッターで「なにかリクエストがあったらそれをかけます」とつぶやくと、ある曲がリクエストされてきたという。

まさに、その曲こそがぴったりの曲だったらしい。ツイッターで案を投げかけたからこそ、他人の知恵を借りることができ、短時間で悩まずに済んだのだ。これも、やはり「ながら」の効用でもあるようだ。

「出会い力」のある人は、いい車に似ている。

2014年06月15日 | Weblog
「出会い力」のある人は、いい車に似ている。

「大人の友達を作ろう」中谷彰宏著より。

出会いを車にたとえているところが面白い。そこで、筆者は車の性能を上げるための、5つのポイントをあげていた。

1、エンジンをパワーアップする。・・・早く走れても事故はすべて自己責任。
2、燃費を効率化する。・・・単にカッコイイよりムダがなく効率がいいこと。
3、トランスミッション(伝達)をよくする。・・・どんなにエンジンがよくても伝達がわるければ意味がない。
4、サスペンションをよくする。・・・クッションが悪ければ性能が悪いことになる。
5、整備(メンテナンス)をよくする。・・・本当のメンテナンスは壊れる前に替えることだ。

出会いのキーワードもおなじことだという。コミュニケーションがマメであればトランスミッションがいいということだった。また自分を許せる部分を残しておくのは、いいサスペンションということでもあった。たまにはこんなことを考えるのもいいかもしれない。

出会いを、運や偶然に頼ってはいけない。

2014年06月13日 | Weblog
出会いを、運や偶然に頼ってはいけない。

「大人の友達を作ろう」中谷彰宏著より。

この本のサブタイトルには、“人生が劇的に変わる人脈塾”ともあった。単に友達を作るだけの話ではないということもわかる。

一行目には「人間は出会いで生まれ変わっていく」とあった。しばしば成功者の言葉の中に、「たまたまこの人と出会って・・・」というのがある。すると、自分が今うまく行ってないのは、そんな出会いがないからだと思う人もいるのだろう。

しかし、そんな偶然のような出会いはまず起こらないと思うべきだろう。むしろちょっと知りあった人との関係を続けていけるかどうかを考えたほうがいいようだ。

運が悪いから出会いがないという考え方は辞めた方が賢明だろう。偶然出会った、あるいは知りあった人との関係をつないでいく努力ができるかどうかがポイントのようだ。

筆者の言葉では「ぶつかっていくこと」とあった。ぶつかるか、ぶつからないかは個人の意識と姿勢で決まると言うのもよくわかる。ほんのちょっとした出会いをどうしたら継続できるかは工夫次第だとも思える。

「コメント力」は単なる言葉にすぎないが、体に火をつける力がある。

2014年06月12日 | Weblog
「コメント力」は単なる言葉にすぎないが、体に火をつける力がある。

「コメント力」齋藤孝著より。

その例としてスポーツをとりあげていた。斉藤氏は女子レスリングの五輪代表に何度も選ばれている浜口京子選手を取材したことがあるという。

「いちばんの支えは何か」という質問に対して彼女の答えは「お父さんから言われている言葉」だったという。確かにアニマル・浜口のパフォーマンスはすごいインパクトがある。

トレーニングジムの壁中には父の言葉が貼っているのをテレビで何度か見たことがある。その一つに「虎の目になれ」があるという。それを試合中に思い出すと、体が虎のように反射能力もアップしたそうだ。

言葉が身体の感覚を呼び覚ますということだった。言葉も短いコメントになっている。だからこそ印象に残るのだろう。何度も繰り返せるというのもいい。言葉がスポーツの支えになっているというのは素晴らしい。

「コメント力」は気づきが最大のアピールポイントでもある。

2014年06月11日 | Weblog
「コメント力」は気づきが最大のアピールポイントでもある。

「コメント力」齋藤孝著より。

食べ物に対するコメントは日常的にあるものだ。どんな味だったかは誰でもが知りたいと思う。そこでは、何か新しい発見や表現ができるといいのだろう。

単に美味しいや美味しくないだけでは、コメントにはなっていない。文学者の文章は参考になるという。例として檀一雄がパリに行ったとき、日本のりんごより小さいりんごを食べたときの感想があった。

「・・・齧ってみると、小さいながら、なにかこう、緻密な、フクイクとした香気のようなものが感じられた。」となっていた。やはり文学者は表現がさりげなくてうまい。

「~でありながら」という部分はかなり使えそうな表現でもあった。緻密、フクイク、香気などの気づきが述べられている点もすぐれているようだ。

素人なら、気づこうという意識があっても、なかなかこんな言葉は吐けないだろう。斉藤氏は気づきのないコメントはただの感想を述べているに過ぎないと語っていた。だれでも言えることなど印象に残らない。

聖書はイエス・キリストのコメントを集めたもの。

2014年06月10日 | Weblog
聖書はイエス・キリストのコメントを集めたもの。

「コメント力」齋藤孝著より。

これを聞いて、ほうーそうだったのかと思った次第。つまり「命令and」というパターンが多いということだった。「求めよ、さらば与えられん」などはその代表らしい。

世界中に浸透していったということは、それだけすぐれたコメントだったという証拠だろう。筆者は聖書は「コメント力」の宝庫とまで言っている。

「人はパンのみにて生くるにあたわず。神の口より出ずるすべての言葉による」「心の貧しきもの、天国はその人のものなり」「汝らの敵を愛せ」と逆説的な表現もあって覚えやすい。

また東洋では孔子が挙げられていた。「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」「これを知るものは、これを好むものにしかず、これを好むものはこれを楽しむものにしかず」などは有名だ。対句であれば覚えやすい。

これら二人のコメントはライブの状況の中で出てきた言葉だったという点が共通していると斉藤氏は指摘していた。だからこそ分かりやすいのだろう。短いコメントは、まるでCMのコピーのようでもあると思った次第。

長い言葉というよりは、短いコメントが人々の心の中に刻み込まれていく・・・

2014年06月09日 | Weblog
長い言葉というよりは、短いコメントが人々の心の中に刻み込まれていく・・・

「コメント力」齋藤孝著より。

まずは、しゃれたコメントについて述べられていた。例として挙げられていたのが、映画「カサブランカ」だった。主役だったハンフリー・ボガードが女に話しかけた場面は印象に残っている。

「ゆうべどこにいたの?」に対する答えは「そんなに昔のことは覚えてないね」だった。また「今夜会ってくれる?」では「そんなに先のことはわからない」だった。

対句になっていて、ジョークとしても考えられて面白い。この酒場のシーンを思い出すと、「アズ・タイム・ゴウズ・バイ」のメロディーが思い浮かんでくる。

また別の例としてはブルース・リー主演の映画「燃えよドラゴン」が挙げられていた。弟子の少年に拳法の極意を言っていた。英語では“Don't think,feel!”だった。考えるな体で(掴め)感じろ、ということになるらしい。

こんな短かい言葉なら覚えやすく、何度も繰り返せるのもメリットであるだろう。このシーンは映画のはじめの方の部分で出てきたので印象に残っている。確か香港の見晴らしのいい丘の上で教えていたように思える。

最も効果的な微笑みは、相手の目を見てする微笑みだった。

2014年06月08日 | Weblog
最も効果的な微笑みは、相手の目を見てする微笑みだった。

「目力の鍛え方」中谷彰宏著より。

相手に好感を持ってもらうためには、微笑みかけることは大切なことだった。しかし、それをできるだけ継続することはさらに大事なことのようだ。

つくった微笑みを誰にプレゼントするかは、目が決めるという。これ自体がコピーにも思えてくる。

大事なことは相手の目を見ることだった。笑顔をつくる前にまず、相手の視線をとらえることだった。

しばしば人が話しているのを眺めていると、笑顔がとけていく瞬間を見てしまうことがある。なんだか冷たいものを感じてしまう。

やはり笑顔はできるだけ継続して投げかけたいものだ。それで本当の笑顔になって相手に伝わるのだろう。

挨拶で相手の印象に一番残るのは、目・・・

2014年06月07日 | Weblog
挨拶で相手の印象に一番残るのは、目・・・

「目力の鍛え方」中谷彰宏著より。

目つきがいいとか悪いとか以前の問題があるようだ。目力が弱いと、挨拶したあとに目がそれてしまうのだった。挨拶しても、また目が戻らなければいけなかったのだ。

やはり相手の目がそれていると、印象は悪いものだ。また印象が悪くなるものに、全員にまとめて挨拶することも入っていた。

みんなまとめて言われても嬉しくもなんともない。やはり一人ひとりに向かって挨拶してもらったほうが気持ちがいいものだ。

目線を合わせることは大事なことだった。挨拶する際に、目線を合わせない人はいい加減な挨拶をしていると思われてもしょうがないだろう。

エスカレーターや階段を使って相手(またはお客さん)と別れの挨拶をしたあと、相手の姿が見えなくなるまで見送ることは大事だろう。やはりある程度進んだところで振り返られたとき、たとえ目が合わなくても、姿があるだけでもお互いほっとするものだ。


目の輝きが、チャンスをつかむ。

2014年06月06日 | Weblog
目の輝きが、チャンスをつかむ。

「目力の鍛え方」中谷彰宏著より。

これは何となく理解できそうだ。というのも、目の輝きが感じられない人に仕事を任せようとは思わないからだ。やる気がある人の目はやはり違う。

とくにサービスマンや営業マンなら、目の輝きがなによりも大事だろう。本当の笑顔なら目も輝いているはずだ。単につくり笑顔では人には気持ちが伝わらないだろう。

あまり意識したことはなかったが、歳をとると、目が乾きやすいのか、輝きがなくなるらしい。そんな時は目薬を一滴さすといいらしい。

いずれにしても、パソコンを使用したりや本を読めば目が疲れるので、眼薬は必需品になっている。チャンスを逃さないためにも目は輝かせておきたいものだ。

挨拶は、口ではなく、目で伝わる。

2014年06月05日 | Weblog
挨拶は、口ではなく、目で伝わる。

「目力の鍛え方」中谷彰宏著より。

ついつい声だけ挨拶して、目がついていかないことがあったりするものだ。だから、このフレーズは肝に銘じておきたいと思った次第。

しばしば、帰りがけに「お疲れさまでした」という声が聞こえても、ぜんぜん人を見てない人もいるが、実に感じがよくないものだ。

むしろ、声よりも目を重視したほうがいいらしい。それでもちゃんと伝わるようだ。一流のホテルでは、何も言わなくても、目だけでちゃんと「いらっしゃいませ、○○様」が伝えられるという。

口で言葉を発することで、挨拶したつもりになっていないか、反省してみる必要がありそうだ。この「つもり」が危険なことだと筆者はいう。

美しいものにめぐり会うと、一見普通のものの中にも美しさを見つけることができる。

2014年06月04日 | Weblog
美しいものにめぐり会うと、一見普通のものの中にも美しさを見つけることができる。

「目力の鍛え方」中谷彰宏著より。

キラキラ目になるためには、美しいものをたくさん見ることを提案していた。見るだけではなく、音楽、物語、映画なども含まれていた。

ここのタイトルのフレーズにもあるように、普通のものの中でも見方によっては、美しいものは本当に多く見つけられるものだ。

たとえば、身近にある植物などはそのいい例かもしれない。ふだんなら通り過ぎてしまうようなものでも、じっくりと眺めると意外な発見もある。

とくに、肉眼では見えなかった部分もカメラのレンズを通すことできれいに見えることもある。また、野鳥も近くではその羽の模様も見えないがズームすることで驚くほどきれいだと気がつくものだ。

すると素直に感動を覚える。それでかなり得した気分にもなってくる。やはり自然のリアルな美しさにより多く触れたいものだと思った次第。

心の喜怒哀楽の起伏で、どれだけバリエーションと弾力性をつけられるか・・・

2014年06月03日 | Weblog
心の喜怒哀楽の起伏で、どれだけバリエーションと弾力性をつけられるか・・・
「目力の鍛え方」中谷彰宏著より。

この本の表紙にはサブタイトルとして、次のようにあった。“はじめて会った人、交渉相手、恋人・・・目線ですべてが変わる”、と。ふだんあまり目力など意識したことはなかった。

表情は目に出るらしい。確かに目がキラキラと輝いているというような感じを受けることもある。また、目で元気がなさそうなことも感じられる。

すべて目力だったのだ。人に会ったときや挨拶の時に、目を合わせないとあまり感じがよくないものだ。視線を合わせるのはある程度意識する必要があるのだろう。

喜怒哀楽の表情を豊かにするには、お芝居や映画鑑賞、読書、旅行、いろいろな人に会うことが大事だと言う。それを積み重ねれば目の表情も変わるという意味らしい。

つまりいろいろと体験を豊富にすることで喜怒哀楽が豊かになるのだった。目の表情が豊かな人は、ちょっとしたことにも反応できる。

ITを上手に活用することが、究極の「時間節約術」である。

2014年06月02日 | Weblog
ITを上手に活用することが、究極の「時間節約術」である。

「ネットアスリートの時間術」茂木健一郎著より。

ネットが通じる状態であれば、それを使うことで実に多くのことが時間短縮で可能になった。しばしば利用するのが交通機関関連のことだ。わざわざ時刻表を持たなくても、行き方や時間、料金などを瞬時にして知ることができる。

筆者はユーチューブをあげていた。あるときブラームスを聴こうと、入力したら自分の好きだった曲以外が選曲されたという。しかし、それは筆者が知らないだけで、実は他の多くの人にとってはいい曲だったのかもしれないと聴いてみたそうだ。

これなども、ある意味素晴らしい時間節約術だという。それは長年聴かなければたどり着かなかったような曲に、あっという間にたどり着けたからだった。

これからの時代はITをうまく自分の味方につけてネットアスリートを目指すことも、時間節約だけでなく日々の生活を楽しむ方法のように思えた次第。

無視されない情報をいかに発信できるか。

2014年06月01日 | Weblog
無視されない情報をいかに発信できるか。
「ネットアスリートの時間術」茂木健一郎著より。

これは“ツイッターのフォロワーを増やす方法”と題して書かれている部分にあったフレーズだった。いいかえれば、注目されるという意味であろう。

フォロワーが多いほど注目されているということは分かる。時間節約のためには、自分に代わってたくさんの情報を寄せてくれるフォロワーの存在が必要だという。

そのフォロワーを得るためには、まずこちらもよほど意味のある発言をする必要があるということになる。誰もがするようなコメント、価値のないコメントではスルーされてしまうからだ。

独創的なことばを投げかけることが必要だった。だからこそ、タイトルにもあげた、「無視されない情報をいかに発信できるか」がポイントのようだ。