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素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

寝屋川公園・20km(4km×5)を2時間38分51秒で

2011年09月29日 | 日記
 火、水あわせて25km走っているので1日空けてからロードを走ろうと思っていた。しかし、天気予報によれば明日の午後雨が降る確率が高いので足に疲労がたまっているが、20km走をすることにした。

 「暑い!」と言っている人もいるが、あの夏の暑さに比べたら走りやすいことこの上ない。前回の2時間36分50秒の記録を短縮することはできなかったが、体のコンディションを考えると上出来であった。クロスカントリー並みのアップダウンの連続なので足への負担は4周目あたりから感じるようになる。

コースの途中では、コスモスや彼岸花が目を楽しませてくれ、金木犀の香りも漂い始め季節の移ろいを感じながら走ることができた。

 小川さんの“読み解く人”の存在の話は建築だけではなく、さまざまな人間の創造活動に共通するものではないかと走りながら考えた。

 今、「ブッダの真理のことば・感興のことば」(中村元訳・ワイド版岩波文庫)をつれづれなる時に読んでいる。およそ二千五百年も前のブッダの言葉を短い詩の形にしてあるものだが、それらを時空を越えて“読み解く人”が綿々と存在し続けたことこそ驚嘆に値する。源氏物語も同じ。古典と呼ばれているものは時代背景とか、国とかを飛び越えて、“人間とは”という本質に迫ったものではないかと思う。それゆえたくさん人に“読み解く”楽しみを与えてくれるのである。

 今であればドラッカーの言葉が、さまざまな分野の人に読み解ってしまえばかれ“もしドラ”という形になっているが釈迦、孔子、キリストなども基本的には変わりがないと言うと言い過ぎかな。 

「求める心」がなければ“読み解く人”になることはできない。【救心】よりも『求心』が大切。
コメント
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