素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

はっきりしない1日であった

2011年09月03日 | 日記
 朝、目覚めた時台風は抜けてしまったと思った。夜、雨戸を叩いていた風も止まり、雨もやみうてれびおす曇りであったからだ。テレビをつけてビックリ。まだ室戸沖にいるではないか。大阪府の全部の市に暴風警報が出ていた。したがって、公共施設での催し物はすべて中止。

 台風が接近し、警報が出てる割にはおだやかな天気である。しかし、いつ大雨に見舞われるかわからないので動くことはためらわれる。こういう時間の空き方は何事にも集中できず、ダラダラと過ごしてしまう。

 天気が良ければ生國魂神社の境内で催された“彦八まつり”を覗きに行こうと思っていただけに残念であった。

 ただ、ニュースを見ていると周辺の地域では雨による河川の氾濫、崖崩れなど大きな被害が出ている。大阪府の北部だけが雨雲の隙間に入っている感じで、夕方まで強い雨はほとんど降らなかった。吊ってある鉢や高いところに鉢などを避難させ、背の高いものには支柱をしたりして万全の態勢で待ち受けていただけに肩透かしをくらった感じである。

 夜は、世界陸上と女子サッカーを交互に見るという落ち着きのなさ。鍛え抜かれた肉体は美しい。私のスポーツの原点は陸上競技である。2年生の時に転校して来た小学校は体育指導に力を入れていた。春と秋には校内陸上大会があり、50m走、立ち三段跳び、高跳びの三種目があった。立ち三段は得意種目で連覇していたが、50m走と高跳びには強力なライバルがいてしのぎをけずっていた。特に、高跳びでは、まだ背面とびのない時代、正面跳び、ベリーロール、ロールオーバーの三種類があり私を含む3人がそれぞれ違う跳び方で数cmの争いを常にしていた。今日の女子高跳びを見ていて3cmバーが上がっただけで跳ぶリズムがガラッと変わってしまう。不思議な種目である。すべてのリズムがかみあってバーを越えた時の爽快感はやったものしかわからないだろう。人生に“もし”はないが、中学校で専門の指導者に出会っていたら陸上選手の道を歩いただろう。

 女子サッカーはイージィミスが多く面白味に欠けた。過酷な日程であるが“ひたむきさ”という原点に返らないとだめだろう。無意識のうちに受けて立つというサッカーになっている。

 明日は交野市議選の告示。しばらくはにぎやかな毎日となる。何もしていないのに疲れた一日であった。

 

 
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