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素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

人間の評価はむずかしい

2011年09月17日 | 日記
 昨日、「大阪維新の会」府議団と府・府教委幹部とで、9月府議会に提案する予定の“職員基本条例案”“教育基本条例案”を巡る意見交換会が行われた。公開で約5時間に渡って意見交流があったが、議論は平行線であったみたいだ。

 人事評価の部分も問題点をはらんでいる。

S(5%).A(20%).B(60%).C(10%).D(5%)の5段階評価とし、2年連続D評価の職員は分限処分の対象にする。

 評価方法は大別すると相対評価・絶対評価・個人内絶対評価の3つあると思う。%が決められているのでこの人事評価は5段階相対評価であると考える。

 相対評価は集団の中での位置を評価するものであるから評価対象者を何らかの方法で序列化しないといけない。大阪の公立高校では各中学での10段階相対評価を受験資料として使っている。したがって、3年生になるとどの学校でも決められた%に従い10から1までの評価をつけることになる。多くのテストを実施する国・社・数・理・英は点数合計をベースに序列化が比較的容易だが、実技が主で、テストが従となる音・美・技家・保体は序列化が困難である。

 そのために、事前に明確な評価基準を示し、それに従って点数化したりして頭の痛い作業をしなければいけない。それでも評価される側にとっては疑問を持ち説明を求めることもあり大変である。もともと、無理な作業であるからスッキリとした形にはならない。たとえばボーダー上に同点の人が5人いても、%で定数が決められているので2人を6に、3人を5にしなければいけない。私の場合、事前にこの矛盾を説明し、少なくても私情が入らないルールを知らせておくという配慮をしてきた。

 人事評価のルールづくりと序列化をどうするのだろう。評価する立場の人間にとってはむずかしい問題である。

 相対評価は集団の位置による評価であるので、集団の質の問題が出てくる。私の例を出すと、私の中1、2の数学の授業は崩壊状態であった。テストも簡単であったが、ほとんどまともに勉強してなかったのでみんなの点数は低かった。私は50点そこそこだったと思う。しかし、通知表には5がついていた。相対評価の結果=実力とはならないことは肝に銘じておかなければならない。

 逆の例では、30年以上前になるが横浜国大附属中学の問題があった。附属中学という集団の中では相対評価で1がついていても、一般の中学では4または5の力があるということで、内申評価を入試に加味する時、高校側が附中基準を内々で持っていて特別に換算していたということが明らかになり入試の平等性を問われ大きな社会問題になったのである。質の高い集団に属していると実力はあっても低い評価になるのである。

 相対評価の弊害がクローズアップされてきた頃、絶対評価による評価が注目され始めた。ある基準をもうけそこに到達すれば、人数に関係なく決められた評価を与えるというものである。この発想は教える側の心に沿うものである。

 教える側は全員に100点をとってほしいと願って、いろいろ工夫する。相対評価だとどれだけがんばって力をつけてもそれに叶う評価をつけることができない。わからせる授業をすればするほど矛盾の大きさに悩んでしまうのである。その点では、全員が100点をとれば全員に5をつければいいので絶対評価であれば矛盾はでてこない。

 しかし、今度は基準の設定という異なる問題点が出てきた。さまざまな教育活動について何ができたらよいかという基準作りをする必要が出てくる。5段階絶対評価であれば、各評価の間の4つの基準を設定しなければならない。実際京都府などでは先進的に取り組んで、その資料を見せてもらったが膨大な冊子となってしまい、道半ばで頓挫したと記憶する。基準をつくってもテストなどの中でクリアしたかしないかなどを判断するむずかしさもでてきた。

 陸上競技のように数値で単純に測ることができるものであれば問題ではない。しかし、思考とかアイデアなどたくさんの要素がからむものには絶対評価の基準づくりと判断の仕方には困難な問題が生じる。

 とはいっても陸上競技においても、どの数値を境にするのかという設定では人によって様々な意見が出てくるだろう。学校でも複数の教師で学年のある教科を受け持った時は、基準作りで難儀する場合が多々ある。

  小学校低学年までであれば集団の位置よりもその子自身がどう伸びたかを評価する個人内絶対評価だけで評価する側もされる側も問題なくいける。本来であれば、そのまま他人と比べることなく個々がどのような力をつけていったかだけで充分だと思う。適塾や松下村塾などでもそうであったと思う。

 悲しいかな、社会制度が整備されるにつれ、受験制度が生まれ、必然的に集団の中での位置が重要な関心ごとにもなり、学校での評価も巻き込まれ振り子のように揺れ続けてきたのである。

 どんな評価方法にも欠点はあるのでその揺れは止まることはない。まして、仕事というもっと複雑な要素をたくさん持つものを単純な5段階相対評価を持ち込むことは考えものである。

 万能の評価はない以上、できるだけ単純に評価することは避ける。各種事情で評価しなければならない時は、評価法の長所と欠点をふまえ絶対視しない。人を見る目を常に養う努力を続ける。という姿勢で行くしかない。

 
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