平成21年12月度 広布唱題会の砌
於 総本山客殿
(大日蓮 平成22年1月号 第767号 転載)
本日は、総本山における十二月度の広布唱題会に当たり、海外からの御信徒を含む多数の方々が参加され、まことに御苦労さまでございます。
本年も既に十二月に入り、あと一月となりましたが、皆様には本年度の折伏誓願達成へ向けて、日夜、御精進のことと存じます。
再三申し上げていることですが、平成二十七年ならびに平成三十三年の新たなる目標に対しては、本年七月二十六日の「七万五千名大結集総会」において、既にスタートが切られているわけでありますので、各支部はまず本年度の折伏誓願を必ず達成することが肝要であります。
来年、新年度を迎えてから「やるぞ」という考えは、とかく寒苦鳥になってしまいますので、戦いを先送りしないで、今日から直ちに誓願達成へ向けて行動を起こすことが、目標達成のためには必要であります。
どうぞ、皆様には本年残り一ヵ月、最後の最後まで御健闘くださることを心から願うものであります。
さて、大聖人様は『高橋入道殿御返事』に、
「我が滅後五百年が間は迦葉・阿難等に小乗経の薬をもって一切衆生にあたへよ。次の五百年が間は文殊師利菩薩・弥勒菩薩・竜樹菩薩・天親菩薩等、華厳経・大日経・般若経等の薬を一切衆生にさづけよ。我が滅後一千年すぎて像法の時には薬王菩薩・観世音菩薩等、法華経の題目を除いて余の法門の薬を一切衆生にさづけよ。末法に入りなば迦葉・阿難等、文殊・弥勒菩薩等、薬王・観音等のゆづられしところの小乗経・大乗経並びに法華経は、文字はありとも衆生の病の薬とはなるべからず。所謂病は重し薬はあさし。 其の時上行菩薩出現して妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生にさづくべし」(御書887頁)
と仰せであります。
すなわち仏法においては、正法時代には正法時代の、像法時代には像法時代の、また末法時代には末法時代の、時期に適った法が弘通すべく定められており、例えば、釈尊滅後最初の五百年、すなわち正法時代の前半の五百年は小乗経が弘通し、次の五百年、すなわち正法時代の後半の五百年は華厳経、大日経、般若経等の権大乗経が弘通し、次の像法一千年間は「法華経の題目を除いて余の法門」すなわち、文上の法華経が弘通すべき時であると定められているのであります。
しこうして、末法に入ると迦葉・阿難等、文殊・弥勒菩薩等、薬王・観音菩薩等、迹化の菩薩へ譲られた小乗経、大乗経ならびに文上の法華経では、文字はあっても末法の衆生の病の薬とはならず、末法本未有善の衆生を救うことはできないのであります。それはちょうど、重い病に対しては浅い薬では効き目がないようなものであります。よってその時には、上行菩薩が出現して妙法蓮華経の五字を一切衆生に授けられるのである、と仰せられているのであります。
すなわち、末法本未有善の衆生を救済するためには、外用上行菩薩、内証久遠元初自受用身たる宗祖日蓮大聖人の御出現と、その仏法をもってしなければ救われないのであります。
ということは、今、大聖人が御所持あそばされるところの妙法は、法華経の題号としての妙法五字ではなく、久遠の本法たる妙法五字であり、まさしく三大秘法の随一、本門の本尊であります。まさしく、この三大秘法の随一、本門の本尊こそ、三世にわたって一切衆生を救済する根源の法であり、末法本未有善の衆生は、この三大秘法の御本尊を帰命依止の本尊と崇め奉り、至心に妙法と唱え、折伏を行じ、強盛なる信心に励むとき、即身成仏の本懐を遂げることができるのであります。
されば、大聖人の正しい仏法を受持信行する我々は、一時も大聖人の御教示を忘れることなく、
「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰へんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ壊れんや。国に衰微無く土に破壊無くんば身は是安全にして、心は是禅定ならん。此の詞此の言信ずべく崇むべし」(御書250頁)
との御金言、ならびに、
「早く天下の静謐を思はゞ須く国中の謗法を断つべし」(御書247頁)
との御金言を固く守り、真の世界平和と全人類の幸せを目指して、『立正安国論』の御理想実現へ向けて師子奮迅の努力をしていかなければならないと思います。
どうぞ、本日ここにお集まりの方々は一人も漏れず、本年残り一ヵ月、わずかな期間ではありますが、力のあるかぎり折伏を行じ、自らも計り知れない大きな功徳を積み、もって本年度の掉尾を飾っていただきたいと心から願い、本日の挨拶といたします。
日蓮正宗公式HP