日蓮正宗 正林寺 掲示板

法華講正林寺支部 正林編集部

盂蘭盆御書を拝して

2024-08-03 | 御住職指導

正林寺御住職指導(R6.8月 第247号)

 当地(群馬県館林付近)では8月に盂蘭盆会が行われます。日蓮正宗での盂蘭盆会を奉修するには、宗祖日蓮大聖人の教えのもとに御先祖を供養申し上げることが大事であります。その教えは『盂蘭盆御書』(御書1374)に説かれており、弘安2(1279)年7月13日、大聖人御年58歳の時に、大聖人の弟子である治部房日位の祖母が盂蘭盆を前に、大聖人へお米・焼き米・瓜・なすび等を御供養申し上げた際に、盂蘭盆の由来を御教示賜った御消息であります。
 盂蘭盆とは、仏(釈尊)の御弟子の中に、目連尊者がいらして、舎利弗は智慧第一といわれ、目連は神通第一といわれて、須弥山に日月がならび、大王に左右の臣のごとく存在感のある弟子でした。この人の父を吉懺師子といい、母を青提女といいました。その母は慳貪の果報により餓鬼道に堕ちてしまい、目連尊者の母を救済するとの願いより起こりました。

 特に『盂蘭盆御書』で大事な教えは、
「目連尊者が法華経を信じまいらせし大善は、我が身仏になるのみならず、父母仏になり給ふ」(御書1377)
との御指南であります。目連は母を餓鬼道の苦しみを取り除いただけで、本当の意味で母親を救ったことにはならないことを御指摘なされ、法華経の教えにより自分自身が成仏しなければ親を成仏させることはできないと御教示あそばされました。
 それは目連が法華経を信じた大善により、自身が仏に成るのみならず、父母をも成仏せしめることが叶う仏法の道理からであります。さらに上七代の御先祖と下七代の子孫、また無量生の祖先・子々孫々まで成仏するとの教えであります。そして有縁の者、それに連なる多くの衆生が三悪道から脱することが叶い、さらには成仏まで叶うのであるとの御書であります。
 まさに、御法主日如上人猊下は、
「本当に一生懸命にお題目を唱えて成仏の境界を築くことは、己れ一代だけではなくして、子々孫々にまで功徳が行き渡るのであり、さらに上七代の先祖にも供養することができるのです。」(御書要文 三 P258)
と『盂蘭盆御書』の御講義の折に教示あそばされました。

 末法時代では、唯一、日蓮大聖人の教えに基づいた化儀化法、富士の立義による供養でなければ救われません。

 時は末法時代に目を転じると、釈尊在世で目連尊者の母の苦しみと異なる、五濁悪世の末法万年尽未来際へとつながる未来世での謗法による果報があります。
 謗法について大聖人は『戒体即身成仏義』に、
「謗と云ふは但口を以て誹(そし)り、心を以て謗(そし)るのみ謗には非ず。法華経流布の国に生まれて、信ぜず行ぜざるも即ち謗なり」(御書10)
と仰せのように、信仰の寸心を改めることなく、「信ぜず行ぜざる」との因縁果報により、未来世が説かれる『呵責謗法滅罪抄』に、
「謗法の者は多くは無間地獄に生じ、少しは六道に生を受く。人間に生ずる時は貧窮下賤(びんぐげせん)等、白癩病等と見えたり。日蓮は法華経の明鏡をも(以)て自身に引き向かへたるに都(すべ)てくもりなし。」(御書711)
と、末法時代の果報について仰せであります。
 さらに『佐渡御書』には、
「一には『或は軽易(きょうい)せらる』、二には『或は形状醜陋(ぎょうじょうしゅうる)』、三には『衣服足(えぶくた)らず』、四には『飲食麁疎(おんじきそそ)』、五には『財を求むるに利あらず』、六には『貧賤の家に生まる』、七には『及び邪見の家』、八には『或は王難に遭(あ)ふ』等云云。此の八句は只日蓮一人が身に感ぜり。高山に登る者は必ず下(くだ)り、我人(ひと)を軽(かろ)しめば還って我が身人に軽易せられん。形状端厳(ぎょうじょうたんごん)をそし(謗)れば醜陋(しゅうる)の報いを得。人の衣服飲食をうば(奪)へば必ず餓鬼となる。持戒尊貴を笑へば貧賤の家に生ず。正法の家をそし(謗)れば邪見の家に生ず。善戒を笑へば国土の民となり王難に値(あ)ふ。是は常の因果の定まれる法なり。」(御書582)
と、順次生等の未来世に現れるの現証を御指南であり、末法時代での苦しみが説かれます。
 信心させていただく境界においても用心が必要であり、大聖人は『顕立正意抄』に、
「今日蓮が弟子等も亦是くの如し。或は信じ或は伏し、或は随ひ或は従ふ。但名のみ之を仮りて心中に染まらざる信心薄き者は、設ひ千劫をば経ずとも或は一無間(いちむけん)或は二無間(にむけん)乃至十百無間疑ひ無からん者か。」(御書751)
と御指南であります。

 以上の未来世を回避するためには、『盂蘭盆御書』に、
「法華経と申す経にて『正直捨方便』とて、小乗の二百五十戒立ちどころになげすてゝ南無妙法蓮華経と申せしかば、(中略)此の時こそ父母も仏になり給へ。」(御書1376)
と、真の成仏は爾前諸経を捨て、法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱えた時、はじめて自分自身が仏になり、その功徳により、父母を成仏に導くことができます。
 末法の法華経は、御本仏日蓮大聖人の御当体である人法一箇の御本尊以外になく、この御本尊に南無妙法蓮華経と唱えた時、御本尊と一体となり成仏の境界を得て、その功徳により御先祖も成仏が叶います。
 『盂蘭盆御書』での御教えを心肝に染めて、富山の蘭室である「富士の立義」ではさらなる心がけが大事になります。盂蘭盆会に参列することで、御先祖を大切にすることになり、一切衆生を仏になす秘術の法華経を唱えることにより、衆生を度し父母への孝養となります。また法華は宝塔なりとの御塔婆を建立し、一華一香である御焼香を行うことで成仏は確実になります。富士の立義では常盆・常彼岸といわれるように、特別な盂蘭盆会以外にも朝夕の勤行唱題で戒名等を御回向申し上げることが大切であります。そして、樒をお供えし荘厳することがさらなる供養へとなります。

 この所作仏事を行うことが即身成仏に不可欠な要因となります。さらに化他行である折伏へと追善供養により積ませて頂いた徳を施すことが、正を立てて国を安んずることにつながります。

 その折伏においても功徳をさらに積むことが叶います。つまり「折伏時の三つの功徳」のことです。1つ目は法華経の『見宝塔品第十一』(法華経337)に説かれる折伏を行ずる時は、いつも仏様がすぐそばに付いていて、折伏する姿をお褒め下さるという功徳です。2つ目は『法師品第十』(法華経330)に説かれる折伏時に御書の御文を忘れたり難しい教学がわからなかったとしても、不備なところ、足りないところは仏様が補って下さるとの功徳です。3つ目が同じ『法師品第十』(法華経333)に説かれる折伏行では、色々なことに耐え忍ばなければなりませんが、もし、理不尽に危害を加えようとする者がいたなら、諸天善神が守護して下さるという功徳です。以上が「折伏時の三つの功徳」であります。

 ゆえに大聖人は『上野殿御返事』に、
「仏にやすやすとなる事の候ぞ」(御書1528)
と仰せである盂蘭盆会をご縁とした自行化他の実践行になります。

 最後に、御法主日如上人猊下は、
「大聖人様は日本国の上下万民が謗法の重科によって、今生には天変地夭・飢饉・疫癘等、遍く天下に満ち、混沌とした末法濁悪の世相を深く憂えられ、その根本原因は、世の中の人々が正しい法に背き、不幸と混乱の元凶たる邪義邪宗の謗法を信じているからであると断じられ、邪義邪宗の謗法への帰依をやめなければ、自界叛逆難・他国侵逼難の二難をはじめ、様々な難が必ず競い起こると予言されたのであります。こうした災難を防ぐためには、
『汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ』(御書250)
と仰せられて、安穏なる仏国土を実現するためには一刻も早く謗法の念慮を断ち、『実乗の一善』に帰することであるとお諌めあそばされているのであります。」(大日蓮 第942号 R6.8)
と御指南されております。常に「実乗の一善」である本門戒壇の大御本尊を信じ、折伏誓願成就へと精進いたしましょう。

 

宗祖日蓮大聖人『上野殿御返事』に曰く、
「仏(ほとけ)にやすやすとなる事(こと)の候(そうろう)ぞ、をしへまいらせ候(そうら)はん。人(ひと)のものををし(教)ふると申(もう)すは、車(くるま)のおも(重)けれども油(あぶら)をぬりてまわり、ふね(船)を水(みず)にうかべてゆきやすきやうにをし(教)へ候(そうろう)なり。仏(ほとけ)になりやすき事(こと)は別(べつ)のやう候(そうら)はず。旱魃(かんばつ)にかわ(渇)けるものに水(みず)をあた(与)へ、寒氷(かんぴょう)にこゞ(凍)へたるものに火(ひ)をあたふるがごとし。又(また)、二(ふた)つなき物(もの)を人(ひと)にあたへ、命(いのち)のた(絶)ゆるに人(ひと)のせ(施)にあふがごとし。」
(御書1528)

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