日蓮正宗 正林寺 掲示板

法華講正林寺支部 正林編集部

第68世御法主日如上人猊下御指南(H23.3)

2011-03-02 | 日如上人御指南

お 見 舞 い

 このたびの東日本大震災により、被災された皆様に心よりお見舞いを申し上げます。

 この大災害によって、多数の方が尊い命を亡くされたことに、悲しみの念を深くするものであります。

 犠牲となられた方々の御冥福を衷心よりお祈り申し上げるとともに、御遺族の方々に哀悼の意を表します。

 被災者の皆様が、このたびの重苦を一日も早く癒され、力強く再起をはかられますよう心よりお祈り申し上げます。

 また被災された本宗檀信徒の皆様には、妙法の功徳を信じ、強盛な信心をもってこのたびの大難を克服せられますよう御祈念申し上げます。

  右、謹んでお見舞いの言葉といたします。

 平成二十三年三月十四日

  日蓮正宗第六十八世法主  瀬 日 如


 

平成23年3月度 広布唱題会の砌

(於 総本山客殿)

(大日蓮 平成23年4月号 第782号 転載) 

 本日は、三月度の広布唱題会に当たり、皆様には多数の御参加、まことに御苦労さまでございます。
 再三、申し上げていることでありますが、宗門は昨年、国内外ともに折伏の気運が大いに高まり、平成ニ十七年・三十三年の目標達成へ向けて、大きく前進することができました。
 これもひとえに、各指導教師をはじめ講中の全員が広布達成の一念に燃え、心を一つに異体同心の団結をもって、あらゆる難関を乗り越え、戦ってきた結果であり、いわば異体同心による勝利の結果であります。
 皆様もよく御承知のとおり、大聖人様は『異体同心事』に、
「異体同心なれば万事を成し、同体異心なれば諸事叶ふ事なしと申す事は外典三千余巻に定まりて候。殷の紂王は七十万騎なれども同体異心なればいくさにまけぬ。周の武王は八百人なれども異体同心なればかちぬ。一人の心なれども二つの心あれば、其の心たがいて成ずる事なし。百人千人なれども一つ心なれば必ず事を成ず。日本国の人々は多人なれども、同体異心なれば諸事成ぜん事かたし。日蓮が一類は異体同心なれば、人々すくなく候へども大事を成じて、一定法華経ひろまりなんと覚へ侯」(御書1389頁)
と仰せられています。
 すなわち、殷の紂王と周の武王の故事を引かれて、広布の戦いにとって、いかに異体同心の団結が大事であるかを御教示あそばされています。
 つまり、広宣流布の戦いは個人個人の能力も必要ではありますが、しかし、いかに個人個人の能力が優れていても、それがばらばらであっては達成することはできません。全員が心を一つにして、共通の目標を持ち、目標実現のために大同団結して戦うとき、初めて個人個人の持てる力も充分に発揮され、想像以上の大きな推進力となって、目標達成に結びついていくのであります。
 故に『生死一大事血脈抄』には、
「総じて日蓮が弟子檀那等自他彼此の心なく、水魚の思ひを成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱へ奉る処を、生死一大事の血脈とは云ふなり。然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり。若し然らば広宣流布の大願も叶ふべき者か。剰へ日蓮が弟子の中に異体異心の者之有れば、例せば城者として城を破るが如し」(御書514頁)
と仰せられ、異体同心なれば広宣流布の大願も必ずかなうと仰せられています。
 しかし反対に、「日蓮が弟子の中に異体異心の者之有れば、例せば城者として城を破るが如し」と、厳しく御制誠あそばされています。
 また『弁殿御消息』には、
「なづきをくだきていのるに、いまゝでしるしのなきは、この中に心のひるがへる人の有るとをぼへ侯ぞ」(御書998頁)
と仰せられ、ここでも厳しく、同信の者のなかに「心のひるがへる人」がいれば、いかに願いを込めて祈ろうとも、願いはかなわないと仰せられています。
 これらの御文によって明らかなとおり、広宣流布の戦いにとって、異体同心の団結が絶対的不可欠の要件であることが明らかでありますが、しかし大事なことは異体同心、つまり心を同じくするといっても、どこに心を合わせていくかが問題であります。
 もし、自分の心に合わせる、つまり自分の心に任せて仏法を見るとすると、我見に陥り、真の異体同心は生まれません。自分の心を仏法に任せていくところに、真の異体同心が生まれるのであります。
 つまり、自分の心を中心にするのではなく、自分の心を仏法に任せ、広宣流布の一点に焦点を合わせて、実践行動を同じくして誓願達成へ向けて折伏に励んでいくところに、真の異体同心の団結が生まれるのであります。
 我々のこれからの戦いは、けっして楽なものではありません。あらゆる障魔が行く手を阻み、妨害してくることは必定であります。
 しかし、「異体同心なれば万事を成し」との御聖訓を心肝に染め、僧俗一致・異体同心していけば、いかなる困難も乗り越えることができます。
 ただし、この異体同心の団結は、その根本に大御本尊に対する絶対の信と、弛まざる唱題がなければ、築くことはできません。
 大聖人様は『当体義抄』に、
「正直に方便を捨て但法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱ふる人は、煩悩・業・苦の三道、法身・般若・解脱の三徳と転じて、三観・三諦即一心に顕はれ、其の人の所住の処は常寂光土なり」(御書694頁)
と仰せであります。
 この御金言の如く、唱題の功徳は煩悩・業・苦の三道を、法身・般若・解脱の三徳と転じ、その計り知れない功徳によって自らが浄化され、我が心を中心にするのではなく、我が心を仏法に任せて、正しい信心の道を歩むことができるようになるのであります。
 されば、常に唱題を心掛け、弛まぬ唱題の功徳から異体同心の団結が生まれ、自行化他の正しい信心に励むことができることを、それぞれがしっかりと銘記され、本年こそ全支部が異体同心して、必ず本年度の誓願を達成し、もって仏祖三宝尊の御恩徳に報い奉るよう心から念じ、本日の挨拶といたします。

 

 

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日蓮正宗公式HP

 

大日蓮出版 

http://www.dainichiren.com/

 

 

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