次の書籍は、伊豆下田代官所の書記役と勤めていた関修齢が記
した「巡海録」。
宝暦3年(1753)12月10日、八丈島の南岸・大賀郷に唐船が漂着。
この船は前年の11月に浙江省乍浦港から長崎へ向かう途中遭難し
八丈島に漂着。船主は信牌(長崎への入港許可証)を持っており、
江戸御用の品もあった。島役人は御用荷物を蔵に収め乗組員71名
全員を上陸させた。
八丈島は伊豆下田代官の支配下に有り、代官宛の報告書を送付
し、指示を仰いだところ、代官は勘定奉行を経て老中から将軍の
意向を伺い、乗組員を下田へ移すよう命令が下りる。
翌年7月1日に下田で人数や荷物点検が行われ、8月17日長崎
へ到着。
この書には漂着船の積み荷も記録が記載されており、白糖と氷糖
が大量に積まれている。和合丸と大杉丸は、その積み荷や漂流民を
長崎へ運ぶための日本船。また、この書の中には漂着した清国人も
描かれていた。
国立公文書館(千代田区北の丸公園3-2)
した「巡海録」。
宝暦3年(1753)12月10日、八丈島の南岸・大賀郷に唐船が漂着。
この船は前年の11月に浙江省乍浦港から長崎へ向かう途中遭難し
八丈島に漂着。船主は信牌(長崎への入港許可証)を持っており、
江戸御用の品もあった。島役人は御用荷物を蔵に収め乗組員71名
全員を上陸させた。
八丈島は伊豆下田代官の支配下に有り、代官宛の報告書を送付
し、指示を仰いだところ、代官は勘定奉行を経て老中から将軍の
意向を伺い、乗組員を下田へ移すよう命令が下りる。
翌年7月1日に下田で人数や荷物点検が行われ、8月17日長崎
へ到着。
この書には漂着船の積み荷も記録が記載されており、白糖と氷糖
が大量に積まれている。和合丸と大杉丸は、その積み荷や漂流民を
長崎へ運ぶための日本船。また、この書の中には漂着した清国人も
描かれていた。
国立公文書館(千代田区北の丸公園3-2)