続いては、「銘 来国次(名物:鳥飼来国次」(鎌倉時代、来国次作、鍛
鉄製、刃長23.9cm、一口、兵庫・黒川古文化研究所所蔵)。号は書家
の鳥飼流の祖とされる鳥飼宗慶が所持したことに由来。
来国次は、京・来派の最盛期にあたる鎌倉時代末期から南北朝時代前
半にかけて活躍した名工。相州伝を加味した地刃を強調した作風で“鎌
倉来”とも呼ばれ、正宗十哲の一人に挙げられる。
本品はその後、豊臣秀次から豊臣秀吉に献上され、さらに宇喜多秀
家に下賜されている。さらに徳川家に伝わり、前田利常が拝領。利常
から稲葉正勝へ贈られ、その後は細川家を経て淀藩主稲葉家に伝来と
なる。
本品は本阿弥宗家十三代光忠により、代三千五百貫(宝永2年12月3
日付け)の折紙が伝わる。なお、「本阿弥行状記」第59段には千利休
が秘蔵していた古鞘が、光悦の父・光二がかつて本品のために作った
ものであったという逸話が残っている。
TNM(台東区上野公園13-9)
鉄製、刃長23.9cm、一口、兵庫・黒川古文化研究所所蔵)。号は書家
の鳥飼流の祖とされる鳥飼宗慶が所持したことに由来。
来国次は、京・来派の最盛期にあたる鎌倉時代末期から南北朝時代前
半にかけて活躍した名工。相州伝を加味した地刃を強調した作風で“鎌
倉来”とも呼ばれ、正宗十哲の一人に挙げられる。
本品はその後、豊臣秀次から豊臣秀吉に献上され、さらに宇喜多秀
家に下賜されている。さらに徳川家に伝わり、前田利常が拝領。利常
から稲葉正勝へ贈られ、その後は細川家を経て淀藩主稲葉家に伝来と
なる。
本品は本阿弥宗家十三代光忠により、代三千五百貫(宝永2年12月3
日付け)の折紙が伝わる。なお、「本阿弥行状記」第59段には千利休
が秘蔵していた古鞘が、光悦の父・光二がかつて本品のために作った
ものであったという逸話が残っている。
TNM(台東区上野公園13-9)