最近高齢の方々と話し合う機会が増えています。その時の心境は、相手の方は高齢ですが私自身は昔と同じように「若い」と思っていること。自分の心は「壮年」そのもの。しかし、自分も考えてみればとっくに「両親」は他界しているし、家内の両親も既に黄泉の世界に・・・。やはり自分も含め皆年齢相応に老けているのです
相手の方がどのような人生を歩んで来られたかに関心を持っています。お顔だけ拝見しても、「全く」分かりません。お話を聞けばそれなりに「ああそうだったのか」とその方の人生航路の概略が分かります。そうなってくると、話題が弾み始めます。お互いに、多事多難な人生の中で、最初に話題にするのは概して光の部分で自分自身の職歴を含む陰の部分は口にしません。それでいて、影の部分が推察できるのが面白いところ 同じ時代をほぼ同じ価値観を持って生き抜いてきた証です。ましてこれが大学時代の同窓生にもなると、高齢での初対面であっても学園風景を想い出し、会話に花が咲きます
今、経済的な格差が教育の格差にも拡がり、親の富は子の富、親の貧は子の貧という風に世代に亘る貧の継承が問題視されています。格差が大き過ぎて、ハングリー精神(ガッツ)が持てない子が続出する社会ではないように為政者は配慮しなければなりません。伸びる芽は親の貧富に係わらず伸ばしてやろうという社会的な優しさ・制度が必要です。子は子自身の未来における白いキャンバスに意欲的に絵を描いてくれればいいのです。あたかも今の高齢者自身がガッツを持って絵を描いてきたように
ただ、その為政者自身、憲法違反の選挙で選ばれているようでは こうなると政党と高級官僚の良心に期待するしかありません。1票の格差解消は民主主義の原点です 高給に見合った仕事をして欲しいですねそのためには政党も官僚も「品格ある政党・官僚」で無ければいけません
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