画像は、TVで観ていた東京五輪閉会式の一幕。観客席の椅子はライトの反映の仕方が上手く出来ていて、満席のように見えましたが、現実は無観客 最後にバッハ会長のご挨拶を拝聴。彼、ムリして日本語を少し話されましたが、まあその位の気遣いは然るべきかなと思いました。日本の金メダル数でマスコミは一喜一憂していましたが、昭和39(1964)年の五輪の時も同じような感じでした。
当時、私は横浜の山下公園で初めて外国人(話して分かったのですが、米軍の水兵さん)に英語で話しかけ、上手く通じたことが嬉しくて、英語の勉強はし続けました。その時はもう日産自動車に就職していて、第一車両実験課で働き始めていました。自動車の振動騒音を少なくするための実験でした。就職後もなぜ英語に興味を持ったか分かりません。多分、高校の延長的な気分だったと思います。学生服を着た従業員でした
それから今日までの57年間 運よく生き延びています。振り返ってみると、人生は運のような気がします。今回の五輪、私には歩みし人生を振り返る良い機会となりました。
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