とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

バラ園といちご煮

2011-05-21 22:26:11 | 日記
バラ園といちご煮



 斐川町は花の町である。四季折々の花々が目を楽しませてくれる。私は随分花には助けられた。落ち込んでいるとき、ふと車中から見た名も知らぬ花のたたずまいに勇気を貰ったことも何度かある。
 今日、21日にはバラを観賞させていただいた。写真のバラはその時のものである。今日出かけたところは、無料で自宅のバラ園を開放しておられるお宅である。
 年々拡張して、大きなバラ園となった。今日はクラリネットの演奏もあった。こういう催しをボランティアで行っておられるそのお宅のご夫妻には頭が下がる思いがする。このせちがらい世の中で毎年招待状を出して開催しておられる。ほんとに奇特という言葉では説明ができないほど心の深いお方たちである。
 私たち家族はバラと音楽を堪能して家に帰った。すると、宅急便が届いた。東北からはるばる届いた品。
 開けてみると、「いちご煮」の缶詰が数個入っていた。
 えっ、「いちご煮」??
よくよく考えて合点できた。私が心ばかりのお見舞いの品を贈った返礼として贈られたものだった。
 で、「いちご煮」とは ??







 あるHPには次のように説明してあった。


 「いちご煮」の名は、お椀に盛り付けた時、乳白色の汁に沈む黄金色のウニの姿が、まるで『朝靄の中に霞む野いちご』のように見えることから名づけられたといわれております。八戸市鮫町の旅館、「石田家」の主人の石田多吉によって付けられた、大変風流な名前です。
 古くから八戸近辺の漁村では、すもぐりで漁をする「かづき」と呼ばれる男たちがいました。夏になると、かづき達はかぜ(ウニ)やあんび(アワビ)をふんだんに採り、海水で煮込み、めっぽうおいしい「いちご煮」を作りました。
  「いちご煮」のルーツは、漁師の浜料理。カゼとアンビを豪快に盛った煮付け料理だったようです。それが、大正時代に料亭料理として供され、お椀にきれいに盛り付けてお吸い物としていただくようになりました。
 現在では、晴れの席やお正月には欠かせない吸い物として食べられております。また、日本料理の料理人の間では、「いちご煮」の名を知らない人はいないといわれるまでになり、青森県を代表する郷土料理の一つとなっています。

味の加久の屋HP

 なるほど、なるほど。私はまたまた合点した。
 そして、家族みんなで味わって食べた。私は、磯の香りがするその珍味に、東北の漁業者たちの心意気を感じた次第である。
 この度の震災で、各方面から東北の姿を知ることができた。

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