フリージア工房 国道723号店

ハロプロメンバーを応援してアイドル音楽を愛するエッセイブログ

リアルパフォーマンス① ~敢えてそれを目指す者たち~

2012-10-10 19:20:52 | ハロプロ(娘。)

 高橋愛さんはハロヲタ内にファンも多ければ、アンチも多かった。それだけ存在感があったという事なのだろう。しかし、モーニング娘。に与えた影響は確かに大きかったのは事実なのだ。今回から数回、高橋愛とモーニング娘。をテーマに書いてみたい。以下、文中はメンバーの敬称は略す。

 私が先日から読んでいた文春文庫の「完本 1976年のアントニオ猪木」(柳澤健 著)という本は、ショーであるプロレスの世界に存在しながら生涯で三試合のリアルファイトを行い、それが1976年に集中していたアントニオ猪木の闘いを、様々な資料と多くの関係者の証言で起こった事実を史実として書き綴った本である。結果的にその三試合が多数の人間に影響を与え、異種格闘技戦という概念と理想を抱きながら現実のものとして展開していく人が何人も現れた。
 プロレスはプロレスの世界で完結していれば何の不都合もなさそうであるのに、「負けたらイメージダウン」というリスクを背負ってまでリアルファイトを行なう意味とは何か?史実の記述の最後にはその結論へ作者は導いていく。

 この本を読みながら私はある人物を思い浮かべた。高橋愛である。
 アントニオ猪木はプロレスラーになりたかった訳でも、プロレスしか生きる道はないと覚悟を決めていた訳ではなく、自分の存在の表現の場、或いは理想、夢の実現への過程としての職業としてプロレスを行っていた。だからこそ既存のプロレスに同化する意思はないし、自分の発想で生きていく事が出来た。ショーとしてのプロレスに身を委ねながらも他の格闘技と交わる道も模索出来たのだ。

 通常、アイドルを目指してアイドルの世界に飛び込んでくるような人はアイドルという職業に憧れを持ち、アイドルになりたいという意思を持ってこの世界に入ってくる人が大半である。
 しかし、高橋愛はアイドルになりたくてモーニング娘。のオーディションを受けた訳ではなく、宝塚に入りたく、舞台の世界に生きていくためのステップとしてモーニング娘。を選んだ。彼女が合宿で流した涙はモーニング娘。に入りたくても力が足りない悔しさではあるだろうけれど、その悔しさはオーディションの結果への不安というよりも、出来ない自分への悔しさが大きかったように映った。
 モーニング娘。はスタートはアイドルオーディションで選んだ人選ではないものの、基本的にはアイドルという枠から大きく逸脱する事はなく、あくまで人気アイドルとしての道を歩いてきた。歌やダンスに力を入れてはいても、そのクオリティを売りにしてきた訳ではない。だからこそミニモニ。のようなコミックなユニットも支持を受ける事が出来た。
 モーニング娘。が歌やダンスのパフォーマンスで語られる存在になったのは高橋愛がリーダーになってからの事で、特に2009年以降の事である。新人の加入を中断してメンバー編成を固定化して、グループとしてのコンビネーションを高めできた。その月日が花を開いたその時期を、当時のアルバム名に掛けて「プラチナ期」と今は呼ばれている。
 そのプラチナ期がその後のモーニング娘。やハロプロの活動に於ける価値観を決定付けていったのは確かな事で、それが好まざるべき事態である人達をモーニング娘。から離してしまう結果になった。ところが、そのプラチナ期がモーニング娘。のアイドル生命を延命に導き、更には新たな息吹を吹き込ませる結果になった事は確かだ。それは、高橋愛がアイドルという括りに収まらない逸材であり、その高橋愛がモーニング娘。のリーダーでありエースだったからである。

モーニング娘。『 SONGS 』 ~ナインスマイル~ 2009秋

コメント (3)
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