フリージア工房 国道723号店

ハロプロメンバーを応援してアイドル音楽を愛するエッセイブログ

リアル幻想とストレート思考

2012-10-04 22:32:44 | フリーテーマ

 アイドルを追いかけて、それについて語るという行為にはフィルターが掛かって当然である。そういう前提があると思っている。

 今、文春文庫より刊行されている「1976年のアントニオ猪木」という本を読んでいて、それは要するにプロレスと格闘技の狭間で揺れながら、リアルファイトという呪縛から解き放たれるために様々な試みをするアントニオ猪木と、そこに関わる人々について書かれたノンフィクション。
 よくプロレスはアイドルを語る上で比喩に使われるけれど、それはアイドルも常にリアルとの葛藤を本人も関係者も抱きながら日々を過ごしているからでもある。テレビやステージで放たれるキャラクターはアイドルのリアルを映しているとは限らず、それはプロレスに於いて本来の人格は無視して悪役を演じるレスラーとも通じる。ちなみに、悪役を演じるレスラーは私生活では気のいい人が多いらしい。いい人であるからこそ人が嫌がる役目を引き受けられるとも言える。

 プロレスはアントニオ猪木の格闘技への挑戦やそのリアルファイト幻想が加速するにつれて、プロレスを文章を巧みに使って語る文化が生まれた。それは表向きの共同幻想を維持し、それを肯定していくための必需品でもあり、それは心を慰めるための武器でもあった。
 アイドルについて語るという文化も1980年代にはすでにミニコミ誌によって確立されており、やり場のない熱き心の倉庫の如く、ヲタ達は文章を書き連ねた。

 現在、アイドルを語る事は非常に容易な時代になり、ブログやツイッターを通じてアイドルについて語れる便利な時代。
 そこに綴られる文章は推しメンバーへのストレートな想いや賛美、或いは運営や制作サイドに対する不満、作品やステージへの感想と、非常に真っ直ぐで純粋なものばかりだ。もはや、プロレス的な文法など必要とされず、過剰な装飾は意味を持たなくなってきた。これはインターネットの普及によりアイドルを様々な角度から見る事が出来るようになり、幻想としてのアイドルという在り方よりも、リアルな等身大である描き方が好まれるようになったのが大きい。その象徴的存在であるAKB、AKBヲタはネットでも基本的に真っ直ぐな向き方をしている。ハロプロヲタが斜めから見ている人が少なくないのとは対称的だ(それゆえにハロプロの方がパロディとして扱いやすくはある)。

 しかし、そのようなスタンダードが出来上がってきても尚更に、真っ直ぐなアイドル評を好まない人達。客観性の感じられるレポートを求める人達もいる。アイドルに対しての共同幻想を過去のものとして、もはや幻想に乗っかる事に気恥ずかしさめいたものを感じるという事であろうか。

 時代は常に回り、やがて多くの人がアイドルを真っ直ぐな気持ちで語る事はフェイクであると思われる時期がやってくるかもしれない。それでも、好きという気持ちには真っ直ぐに向き合う人達がちゃんと存在していてほしいとは思うのだ。

コメント
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