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Nonsection Radical

撮影と本の空間

御意見番がいなくなった

2014年11月27日 | Weblog
これはあくまでも「感じた」ことなので、まったく的外れな(いつものことさ)感想かもしれないんだけど。
ネットをさまよっていたら、テレビ朝日のニュースステーションの”報道内容”について批判があった。
何かなと興味をもって見たら、番組で高倉健の死亡のニュースに関して、学生運動と絡めて報じた事に”健さん”を冒涜したものだとの批判がわき上がっているというのだ。
それですぐに「はは~ん」と来るのはかなりの年齢以上の人だろう。
逆に言えば、当時の状況を知らない人には高倉健と学生運動の関連性がわからないし、現在ではどうやら学生運動というのは「悪」と決めつけられているようで、そんな「悪」と”健さん”を関連づけるとはケシカランという事らしい。
実際に番組を視ていないので想像だけど、うまく関連性を結びつけて報じられなかったようなのだ。
または、その関連性が制作側も視聴者も理解出来ていなかったという事だろう。
当時の現場を体験したわけでもなく、単に伝聞でしかないのだけれど、拙者が”理解”している関連性を述べると・・・
学生運動が盛んだった頃に、映画館では高倉健の「やくざもの」が上映されていて、”健さん”演じる「孤高」な姿に学生連中がなぜかシンパシーを感じて、デモの合間に映画を観て、肩で風を切って劇場をあとにして再びデモに向かったと”言う事だ”。
つまり観客である学生達の一方的なシンパシーであるのだけれど、それがある種時代の風景であったというわけだ(伝聞)。
このことを番組では報じたかったのだろうが、きっと番組の現場には当時の事を知っている人はおらず、「若い連中」が理解不十分で製作した結果、関連性がハッキリしないと受け取られるものとなったのだろう(想像)。
今はそういう時代なのだ。
そういう時代とは、”現場”には働き盛りの「若い連中」しかいなくなったという時代だ。
年寄りは”現場”から追いやられ、「若い連中」だけで時代を描く社会となったのだ。
その結果、昔を知らない人ばかりとなって、昔の事を描く事も関心もなくなってしまった結果、こういう”騒ぎ”も起きるのだろう。
横丁の隠居や御意見番と呼ばれる人のいる場所がなくなった結果、注意や間違い、サジェスチョンなど出来る人がいなくなったのではないのか。
くだんの放送でも、街角の”年寄り”にインタビューしたらしいが、それが的をはずした内容で、視聴者は理解出来なかったようだ。
個人的な感覚だと、こういう場合には橋本治とか猪瀬直樹にインタビューしたら面白い話になったと思うのだけどねぇ。
制作側にそういう発想は生まれなかったのだろうか。
なぜ橋本治や猪瀬直樹かという事がわからない人は、こんな話をしてもムダなんだろうけど。
まあ、そういう時代になったという事だ。



生田通り 4
兵庫県豊岡市中央町
撮影 2014年8月2日 土曜日 12時20分
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