
某月某日
同じ事をしている人、たとえば趣味だとか、と話すのは共通の話題もあり話しやすいのだが、はたしてそれでいいのかと最近思うようになった。
といってもsatoboは友だちも少ないし、愛人もいない。
だから交友関係は狭いのでいろいろな人と話す機会には恵まれないのだが、自分と違う事をし、自分と違う考えを持つ人と話したいという気持ちは深い。
昔からいろいろな事への興味はあるのだが、それは自分がしたいからという事でなく、単に知的興味として知らない世界を知りたいというレベルのものである。
知らない事を知ると、単純に「すごいなぁ」と感心するだけで、相手にとっては刺激にもならないのだろうが、こちらは刺激を受ける。
それがどのように作用していくかなどとは考えないのだが、世の中にはいろいろな人がいろいろな事を考え、いろいろな事をしているというだけで了見が広がる気がするのだ。
なんてことをなぜ考えるようになったのかと自問すると、先日ある集会で(同好者が集まるような)堂々巡りになるような事を話す人がいた事からだろうと思う。
一概には言えないが、年寄りの方が昔の事を知っている。
昔何があったか、どうなったかなど、リアルタイムで体験した事があるわけだ。
もちろんそれが一方的な体験で、事実の断片を体験しただけなのだろうが、それでも時代の流れというは感じていたはずだ。
すでに解決のついている事、解決がつかない事が判明した事などは若い人は知らないかもしれないが、年寄りは知っていたりする事もある。
そういう話題を若い人が持ち出すと「今更ジロー」と思ってしまうのはイケナイルージュマジックなのだろうか。
内輪の話は外に広がっていないので、内部だけで解決出来ない事をいつまでも持ち続けるのだ。
そういう「論」というのはツマンナイんだよねsatoboは。
もっと垣根を越えて自由な発想をした方が面白いし、他の人も面白いと感じると思うんだよね。
そのためにも他の人ともっと付き合わないといけないなぁと思うのだ。
さてこの年になって、どうやってそういう機会を持とうかと思案橋なのだが、まずオヤジギャグから止めた方が良いのではと感じる。(笑)
そして外に飛び出していくしかないと思う。
だってジジイに外から寄ってくる人などいないからね。
新しい出会いを求めて新しいアプローチ方法を探る事になる。
同じ事をしている人、たとえば趣味だとか、と話すのは共通の話題もあり話しやすいのだが、はたしてそれでいいのかと最近思うようになった。
といってもsatoboは友だちも少ないし、愛人もいない。
だから交友関係は狭いのでいろいろな人と話す機会には恵まれないのだが、自分と違う事をし、自分と違う考えを持つ人と話したいという気持ちは深い。
昔からいろいろな事への興味はあるのだが、それは自分がしたいからという事でなく、単に知的興味として知らない世界を知りたいというレベルのものである。
知らない事を知ると、単純に「すごいなぁ」と感心するだけで、相手にとっては刺激にもならないのだろうが、こちらは刺激を受ける。
それがどのように作用していくかなどとは考えないのだが、世の中にはいろいろな人がいろいろな事を考え、いろいろな事をしているというだけで了見が広がる気がするのだ。
なんてことをなぜ考えるようになったのかと自問すると、先日ある集会で(同好者が集まるような)堂々巡りになるような事を話す人がいた事からだろうと思う。
一概には言えないが、年寄りの方が昔の事を知っている。
昔何があったか、どうなったかなど、リアルタイムで体験した事があるわけだ。
もちろんそれが一方的な体験で、事実の断片を体験しただけなのだろうが、それでも時代の流れというは感じていたはずだ。
すでに解決のついている事、解決がつかない事が判明した事などは若い人は知らないかもしれないが、年寄りは知っていたりする事もある。
そういう話題を若い人が持ち出すと「今更ジロー」と思ってしまうのはイケナイルージュマジックなのだろうか。
内輪の話は外に広がっていないので、内部だけで解決出来ない事をいつまでも持ち続けるのだ。
そういう「論」というのはツマンナイんだよねsatoboは。
もっと垣根を越えて自由な発想をした方が面白いし、他の人も面白いと感じると思うんだよね。
そのためにも他の人ともっと付き合わないといけないなぁと思うのだ。
さてこの年になって、どうやってそういう機会を持とうかと思案橋なのだが、まずオヤジギャグから止めた方が良いのではと感じる。(笑)
そして外に飛び出していくしかないと思う。
だってジジイに外から寄ってくる人などいないからね。
新しい出会いを求めて新しいアプローチ方法を探る事になる。
どんなに時間をかけてもその人の内面は理解出来ませんし理解する必要はないと思います。
残された時間を自分なりの尺度で歩むことに全力を傾ければ応援してくれる人もでて来ます。
エゴとエゴのぶつかり合いが予想もしない素晴らしい結果を生み出すことだってあります。
要は現状認識を捉え方です。
どうせ一度の人生です。
いがみ合うのもそれはそれで生きている証だと思います。
写真と美術という関係性を問う話題だったのですが、あまりにもその世界観が狭く、きっと自分も同様な思考に陥っているのだろうなぁと感じた次第です。
世間は広く、きっとsatoboとは異なる世界観で生きている人がたくさんいるのに、それを知らないのはつまらない事だなと思ったのです。
「自己との対話」において新しい出会いが素敵なエッセンスになると思うのです。
豊雪さんと出会えた事も素敵な事ですよ
そんな広い見識があったら写真に携わるはずがありませんよ。
いつまでたっても写真は美術の仲間に入れません。
それが良かったりしますが(笑)
7人から37人でっせ。
satoboが質問したわけではありませんからね。
不特定多数の中で言葉を発する事への気配りと責任がない人がいたのですよ。
そいつがまた我が身を省みず、他人に説明の重要性を説いたものだから噴飯ものでした。
バカは喋るな!と言いたかった。
choseiさん
美術・芸術関係アリアリじゃないですか!
37人行きましたか・・・
予定の2万人まであと少しですね。
読者の皆様、引き続きchochan(笑)のブログとTwitterをヨロピク!