Nonsection Radical

撮影と本の空間

撮る理由

2020年05月26日 | Weblog
このところスマホの”カメラ”で撮影することが多くなった。
メモを取る代わりに風景をパチリ(しかしあの謎の”シャッター音”はなんとかならぬか)と撮影してメール添付で自分に送るということをしている。
なかなか良く写るのであるが、多少の操作性の悪さを引いても、これでデジカメがわりになるんじゃないの?という思いと、なんか違うんだよなぁという思いが混じり合って複雑な感じだ。
今の所はメモがわりとインスタグラムへの投稿でしか使わないのだが将来はどうなることやら。
またデジカメでの撮影とフィルムでの撮影で”葛藤”が起きているのだが、これもなぜフィルムで撮る必要があるのかとの問いに明確な答えが出ないことによる。
こういう”迷い”には山ほどフィルムで撮影すれば自ずと答えが出るとわかっているので、着々と準備を進めている。
準備をする段階ですでに躊躇があるということなのだが(さっさと撮れと)、撮影後の出費を考えるとこの御時世どうしたものかと。
もう自分ではフィルム現像はしないと決めているので現像を頼まないとならない。
最終的には撮影しても現像しなければいいのだが、今更ながらインスタントフィルムがあればなぁと思ってしまうのはポラロイド世代だからか。
そこで結論になるのは、自分は”紙”としてのプリントが欲しいのだということだ。
最終形態は紙のプリント。
プリントの形態は問わない。
インスタント写真でもインクジェットでもバライタでもマッチしていればいい。
そのプリントをこっそりと秘匿してマイコレクションにして生きていきたいのだ。
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