Nonsection Radical

撮影と本の空間

締め出し考

2019年10月28日 | Weblog
最近相次いで観光客が多く訪れて迷惑なので写真撮影やネット投稿を禁止したり、できれば来ないでくれと意思表示を行なう人や場所が増えているという。
この件についてまだハッキリとした考えもまとまっていないので状況把握や情報取得に努めているのだけれど、備忘録として現在の思うことを記録しておきたいと思う。
断るまでもなく状況の変化等で考えも変わっていくのである。
参ったなぁというのが第一印象。
自身がフラフラと徘徊しているため、「一見さんお断り」と街から締め出されるのは困ってしまうのである。
表面上は撮影等の禁止としているが内心は来ないでくれというのが本音という報道もある。
生活を守るためという考えだそうだが、少し危うく考えるのは、その気持ちの中に余所者排除という考え方が”蘇って”いないのかと。
難しいことは書けないが、少し前までは日本の集落は排他的で余所者を排除して生活を”守る”という思考があった。
それがちょっとした旅人であっても集落、村、町から出るまで注視され続け、余計なことをしないように監視されたわけだ。
それが多少ゆるいところがいわゆる”観光地”であった。
そのハレの場所から外れるとてきめんに排除の論理が働くのだが、その常識が通じないのが異邦人なのである。
もちろん外国人だけでなく観光旅行者でない旅人とかカメラマンとか取材者とか中を覗き込んで来る者は排除される。
それがあまりにも急激な旅行者増加で一気に叫び声があがったようだ。
で、だ。
その声の中に旧来の排除の論理が働いていないのか、いたら困るなぁというのが徘徊して写真や動画を”無断で”撮影している余所者である自分の気持ちなのである。
もちろんこれまでだって、できるだけ目立たず邪魔せず動いてきたつもりだが、それも多数となると我慢の限界を感じる人もいるのだろうし、困りますねぇと思うのだ。
理想としては、旅行者などまったく来なくなってすっかり日本全国さびれてしまえば良いのだけれど、そうなったからといって、一度復活した余所者排除の思考はなくなることがなく、それぞれの地でそれぞれの人たちが凝り固まってちまちま生きていく時代が続くのだろう。
そういう生活が嫌で逃げてきた人間にとって、ちょっと困った環境だなと思うのである。
今後も注視です
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