Nonsection Radical

撮影と本の空間

いつか来た道

2012年09月29日 | Weblog
たくさんの異性とつきあい続けると、”以前の人”とどこかで”再会”しても誰だかわからない事があるじゃないですか。
スミマセン。
正確に記します。
”以前の人”とどこかで”再会”しても誰だかわからない事がある、”という”じゃないですか(苦笑)。
徘徊も同じなようで、色々なところを歩き回っていると、頭に思い出す”あの道”は、いったいどこだったっけ?という事がおきてくるんですよ。
一方で、以前歩いた道は再び歩くと「前に歩いた事があるぞ」と思い出しもするんですね。
ただ、それが単に歩いただけなのか、撮影しながら歩いたのかは記憶になかったりするんですけど。

それで、今日大阪某所を歩いていたんだけど、地名は記憶があるんだけど、別の市だったはず、同じ地名がここにもあるんだぁ、と思っていたんですね。
ところがある道角に来た時に、「あっ、ここだ!ここを撮影したんだ」と思い出したんですね。
こんなふうに記憶を呼び戻すのは、街並みではなく、お店でもなく、道の角、あるいは曲がり道なのが不思議といえば不思議。
まあ曲がり角や曲がった小路というのが非常に好きだということも関係するんでしょうがね。
その角がきっかけで、撮影のコマゴマした事やその後の動画を見た人とのやりとりなんかが鮮明に思い出されるのが、自分で興味深かった。
その角から小路を撮影したのは1年半以上前のことだったのに。

基本的に再撮影以外に同じ道をたどる事はしないのに、今回”再会”したのは、以前は歩いたルートを地図にマークしていなかったから間違ってしまったんですね。
歩きながらルートをマークして、どこにいるのかの確認と、どこを歩いたのかの確認をするようにいつの間にかなった。
動画編集をする時に、地名を確定するためにと、再訪するときのために。
また動画の中に時々地名の書かれた看板が登場するのは、その場所を確定する参考のためなんですね。

今回は途中で記憶が蘇ったために、以前のルートを外して別の道を徘徊したんだけど、道ひとつずれるとまた別の街並みが登場して、そこも新たに撮影などと楽しいことが増えてよかった。
まったく思い出しもしなくボケるまで、こうやって歩くのだろうか。




広小路商店街 1 京都府福知山市


高槻センター街 大阪府高槻市
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