読み始めた本は
賢人たちの誤算 岸宣仁 著 1994年 日本経済新聞社
バブル経済検証の本を読んでいます。
当時にさかのぼるために、ブックオフで検索しながらどのような本が出されていたのか確認しながらですので進みません。
検索結果3万件を時代順に見ていきながら、題名で当時の関心を探るのですが、題名から著者の目のつけどころをみるとなかなか面白いものです。
現在ではすっかり信用をなくしてしまった経済評論家が”時流”に乗ってイケイケなのは笑いが込み上げます。
バブルは実質86年からと言われますが、円安の不安、先が読めない、レーガノミクスの限界からアメリカ発の世界恐慌の不安など好景気という今のイメージとは異なる様子です。
本も消費社会論や、大量生産品の蔓延によってものが売れない時代の話が出ています。
それが一転して、87年からは円高の危機感(1ドル100円へ)、アメリカからの黒字是正の圧力と財政再建、経済政策と転換期の模索がされます。
ところが書籍の世界では意外と真っ只中の状況分析がありません。
経済理論で読み解こうとするが今から思えば違う「論理」で社会が動き出していて判断に困った状況だったのでしょうか。
一方で、社会は肯定的な受け止め方なのか 土地は高いけれど景気は良かったからか、金が回ってくれば何でもできると思えた時代、別の言い方をすれば、したいことがあった「欲望」の時代の到来と受け止める本が出始めます。
すでに結論がわかっている現在ですから言える事なのですが、「激動期の評論は外れる」のがわかります。こうなるという希望はおおむねはずしましたね。
調べるほどに焦点がボケてなんとなくの世界観になってしまうのがバブルの原因探しの難しいところだと感じています。
バブルのことではありませんが、検索していると現在の(snsとかで)問題となっている事象が、当時の書籍でも同じように取り扱われていて進歩のなさを感じました。そういう話題はいつも大衆の興味を引くということでしょうか。
読書はまだ続きます。
賢人たちの誤算 岸宣仁 著 1994年 日本経済新聞社
バブル経済検証の本を読んでいます。
当時にさかのぼるために、ブックオフで検索しながらどのような本が出されていたのか確認しながらですので進みません。
検索結果3万件を時代順に見ていきながら、題名で当時の関心を探るのですが、題名から著者の目のつけどころをみるとなかなか面白いものです。
現在ではすっかり信用をなくしてしまった経済評論家が”時流”に乗ってイケイケなのは笑いが込み上げます。
バブルは実質86年からと言われますが、円安の不安、先が読めない、レーガノミクスの限界からアメリカ発の世界恐慌の不安など好景気という今のイメージとは異なる様子です。
本も消費社会論や、大量生産品の蔓延によってものが売れない時代の話が出ています。
それが一転して、87年からは円高の危機感(1ドル100円へ)、アメリカからの黒字是正の圧力と財政再建、経済政策と転換期の模索がされます。
ところが書籍の世界では意外と真っ只中の状況分析がありません。
経済理論で読み解こうとするが今から思えば違う「論理」で社会が動き出していて判断に困った状況だったのでしょうか。
一方で、社会は肯定的な受け止め方なのか 土地は高いけれど景気は良かったからか、金が回ってくれば何でもできると思えた時代、別の言い方をすれば、したいことがあった「欲望」の時代の到来と受け止める本が出始めます。
すでに結論がわかっている現在ですから言える事なのですが、「激動期の評論は外れる」のがわかります。こうなるという希望はおおむねはずしましたね。
調べるほどに焦点がボケてなんとなくの世界観になってしまうのがバブルの原因探しの難しいところだと感じています。
バブルのことではありませんが、検索していると現在の(snsとかで)問題となっている事象が、当時の書籍でも同じように取り扱われていて進歩のなさを感じました。そういう話題はいつも大衆の興味を引くということでしょうか。
読書はまだ続きます。