Nonsection Radical

撮影と本の空間

ちくわ

2020年11月24日 | Weblog
仕事先のジョシとちくわの話になった。
お互いちくわの素晴らしさを語り合い、その内容を他の人にも伝え、さっそく買ってきた人もいた。
ちくわは万能である。
煮て良し、焼いて良し、生でも良し。
穴に何を差し込んでも良し。チーズ、きゅうり、指・・・
家に帰る際にはちくわを買って帰ることを堅く誓い、ようやく帰ることができた今日ちくわを調理した。

ジョシと語り合った際に、相手には気づかれないように振る舞っていたが、実はお互いには距離感があってけっして埋めることができない深い溝があることをsatoboはわかっていた。
それは超えられない年齢の差とか、叶えてあげられない立場の違いとかではない。
そういうことなら決断すればなんとでもなるであろう。
ふたりの間に横たわる影とは・・・

ジョシはチクワといえば小学生のチンチンのような小さな生食用のちくわをイメージしていて、satoboはオトナのチンチンのような大きなちくわを語っていたのだ。
ちくわは断然おでんに入れるような太くて長くて少し黒いものが良しである。
二人でちくわを咥えて汁を飲むという話をしていたのだが、当然イメージする姿は違っていたわけだ。
ジョシは小学生の・・・satoboはオトナの・・・
嗚呼、これが経験の差というものか

当然おでん用の太くて長くて少し黒いものを手に入れ、磯辺揚げにした(最高!)。もちろん青のり入りである。
ついでだからと魚肉ソーセージも揚げ、ついでだからとシャケのハラスも衣をつけて揚げた。上等である。
たくさんのキャベツの千切りを敷いた弁当箱にこれら磯辺3兄弟を並べ明日のお弁当の出来上がりである。
食欲の秋である
コメント
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