Nonsection Radical

撮影と本の空間

食い物に言葉はいらない

2016年04月11日 | Weblog
いやわかりますよ気持ちは。
いかに素晴らしいものかというのを説明するために自分の思う事を言葉にして表現するのは。
そしてそれを見聞きして素晴らしさを分かち合って美味しく食べるという人がたくさんいる事も。
でもアタシはイヤなの。
そういうものを口にする”資格”が自分にはないと判断しているから。
だから雑誌などの食べ物探訪記とかで、店主などが”ウンチク”を述べるのは読まない。
ほとんど本の隅から隅まで読むんだけど、そういうのは読まない。
そういう”ウンチク”を知ったからって何も味は変わらない。
そもそも”ウンチクと味は関係ないし。
あと”イノチ”に感謝して食べるってのもしない。
むしろ食うために殺すという行為は”当たり前”だと思っている。
要するに食べることは自然なことなので、そこに言葉や気持ちを挟む必要はないと思っているんだ。
料理紹介等でただ単に「うまい」と言うだけじゃ能がないと、あれこれ”表現”するのが能だと言われるけれど、それにもノーと言いたい。
美味しければ美味しいだけで十分な表現だと思う。
その言葉だけで表現できないことこそ能がないと言いたい。
そんなことを言ってたら記事や番組ができないじゃないかと言われそうだが、最初に言ったようにそういうものを見聞きはしないんだもの。
映画「夫婦善哉」で森繁久弥が高くて美味しいものはたくさんあるし当たり前だが、安くて美味しいものが良いんだみたいなことを言っていたが、あの映画には高くて美味しいものは出てこなかったよな確か。
そして散々”ウンチク”を口にするのだけれど、あのシーンが嫌いでね。
黙って美味しさを味わえば良いのに。



どぶ板通り 3
神奈川県横須賀市本町2,3丁目
撮影 2015年9月5日 土曜日 15時30分
コメント
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