Nonsection Radical

撮影と本の空間

2011年3月11日以前

2014年03月11日 | Weblog
マスコミは今日一日2011年3月11日からコンニチまでの震災の経過を報じているだろう。
そして現在の課題を論じているはずだ。
でもさぁ、3月10日までの事を報じるものはあるだろうか?
テレビ、新聞等今日も見ていないのでわからないけど。
東北における現在の問題は、そしてその問題を解く鍵は、実は3月11日以前の問題でもあるのではないのかと、ふと思ったのですよ。
それが震災によって顕著化されたのではないのかと。
震災前に仙台、石巻とわずかな時間だけれど徘徊して、なんとなく雰囲気をつかんでいたのだけれど、それは地方が抱える問題を同様に感じさせる街だった記憶がある。
郊外に大型ショッピングセンターが出来て、駅前の商店街は寂れ、街は高齢化が進み、若者は集まる場所がなくて自然とショッピングセンターに集う。
観光客誘致もマッチングが悪く良さが伝わらない。
地域産業も先細り。
そんなどこの地方都市にもある問題を東北も抱えていたはずだ。
それに対する行政の動きは鈍く、あるいは手を打つ方法が見つからず、景気が悪くなる時代にどのように生きていこうかと模索をしようと模索している(つまり何も実際には活動できていない)状態だったはずだ。
何も問題なく楽しく暮らしていたところに突然の震災で・・・というわけではない。
「復興」以前に、「活性化」というキーワードがあったのではないのか。
そんな弱り目に祟り目といえる震災で、「復興」が「活性化」からバトンタッチされたように走り出したけど、現実はどのような将来像を描くのかはまだ見えない。
だって、「活性化」だって、将来像が見えていなかったんだから。

徘徊した当時から、「名所のない観光」というのを提示しているのだけれど、なかなか広まってはいかないなぁ。
どうしても観光となると名所という点を結ぶ行動となるのを、発想を変えて線をつなぐ、あるいは面を知る観光を提案して、観光客をどこの地域にでも行く事で活性化につなげようと画策しているのだけどねぇ。
知らない街を徘徊して、街の人は「よそ者」を「いらっしゃい」と言って歓迎し、グルメ情報になど載っていないお店で買い食いしたり、食堂で美味くも不味くもない地域の普通のものを食べてブラブラしてのんびり過ごす”観光”。
これが結構楽しい事を知ってもらいたいんだけどねぇ。
そんな旅にピッタリだったのが東北だと思ったんだけど。

現在はまだなかなか観光客を受け入れる状態ではないのかもしれないけれど、「復興」以前の「活性化」を考えないと、「復興」したけど寂れたままでは何の問題の解決にもならないと思うんだよね。
街という「はこもの」の事ばかりではなく、これからの街の生き方をどのようにデザインしていくかを考えるが重要だし、そのヒントは3月11日以前に埋もれていると思うんですけどねぇ。



東新町から立町の街並み
兵庫県篠山市東新町,立町
撮影 2014年1月6日 月曜日 12時05分
コメント
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