3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

高齢者を75歳以上とすること?無意味である その2

2017-02-26 19:24:00 | 現代社会論
75歳以上を高齢者とするという老年医学会の話。
余計な話である。

私は日ごろ、無年齢でやっている。
ときおり、自分の年齢を意識しはっと気づくことがあるが、たとえば、種々の申込書などを記入する場合、年齢、性別、住所、氏名という感じで問われることが多い。
そんなときは年齢を気にする。
しかしだ。通常、まったく気にしていない。
老年医学の見地からみると75歳以上を高齢者にするのが妥当とおもうのかもしれないが、だからといって、高齢者のイメージを明るくするためにとかいうのは、そうコメントしてるようだが、大きなお世話だと思うのである。
最近は75歳を超えても元気な人が多くなっているという事実だけを伝えればよいのに、高齢者の概念などと大上段に構えて、世の中変えましょうなどと不遜である。

健康面からみると年齢による虚弱化は75歳あたりからが強くでる、というのなら、なんとか我慢して受け入れようが、上から目線で高齢者の定義などと老年医学をやっている医師等が概念を規定し変更を迫ることの意義がどこにあるというのだろうか。なんであんたたちそんなに偉いの?そもそも無意味だろうに。

実際、定年は確固としてあり、労働市場からの撤退を余儀なくされることは変更ないのだし、年金支給年齢も企業年金、厚生年金、国民年金と少しタイムラグがあるが、それもとりあえず、変更ない。というか、75歳なんかになったら餓死する高齢者が多発するからやめたほうが良い。

また、介護保険は40歳以上が利用可能であり、多くは65歳以上が対象となる。75歳以上にするなんて、もってのほかである。介護が必要な年齢はまったくもって読めないものだから。

あとは、映画館がシニア料金などを設定しているが、60歳だったりするし。
公立小学校や中学高校の先生は60歳定年。
大学は様々だが65歳から、私学は70歳か68歳ぐらいか。

会社員は、55歳で役職定年、その後、60歳ぐらいまで働き、そこからは一年契約みたいな感じで働いているようである。業界にもよるが。

芸術の世界は年齢による制限はまったくないし、75歳という規定をもうけ、それ以前を准高齢者だって?馬鹿言ってんじゃないよ。まったくのナンセンス。

この音頭をとっているのは、東大の医学部の先生で、虎の門病院の院長の大内何某だそうだが、笑っちゃう。
団塊の世代らしい。
自分が元気なので、高齢者というくくりにはまりたくないために、75歳まで働きたい、という個人的願望からこの規定を設けたようにも思えてくる。
この先もずっと虎ノ門の院長させてほしい、だって、75歳までは元気だからさあ。
といっているようなもの。

年齢なんてぶっ飛ばせといいたい。

そんなの関係ねえ。
これだけ、個人の生き方が多様化した今日、まして、超高齢化社会で、大量の65歳以上の人々がいる時代、年齢や性で個人の生活や人生の在り方を区分すること自体、違うのではないだろうか。
年齢モデルはもう古いのである。
年齢より、年金や所得の状況、病気や障がいの状況、家族、住居などの状況で生活の在り方を考える時代になっている。
年齢なんて、本当に忘れてしまうものだから、75歳としましたといわれても、ああ、そう、で、終わりなんだが・・・・。

大内何某という東大医学部の先生、こんなくだらないことに時間を費やす暇があったら、もっと患者と付き合って、いかに年齢で区分することが無意味であることを学習すべきなのではないだろうか。

まったく、ムカつくのである。




 
コメント
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