母の具合が悪くなり、いよいよ本格的に終末期にはいってきた。
身の置き所がない、こんなにみんなに迷惑をかけていきたくない、
みんなに集まってもらって、薬を打ってもらって死にたい、などというようになり、子どもとしては、それこそ身の置き所がなく、励ます言葉もなくなってきた。
腎臓が悪くなってきたのでステントを入れるかという話になったが、それは、いやだという。
入院するか、在宅で最後をみるか、選択を迫られている。
とうぜん、本人は在宅を希望。みな、それがよいと思っている。
有能な医師がいるかどうかにかかている。そういう在宅で看取るための体制があるかということである。
自治体ごとの力量がとわれる。
地域の医師会、看護、介護などの多様な職種がいかに連携し、利用者中心に体制を整えられるか、それにかかっている。
一人の人生が終わろうとしている。
尊厳ある死をどう作っていくのか、先進国としての我が国の高齢者福祉の神髄、実力が試されている。
家族として最善の体制をつくりたい。
治療の段階は終わった。
いつか必ず来るその日、のために、よりよい最後を考え抜いて創る。
身の置き所がない、こんなにみんなに迷惑をかけていきたくない、
みんなに集まってもらって、薬を打ってもらって死にたい、などというようになり、子どもとしては、それこそ身の置き所がなく、励ます言葉もなくなってきた。
腎臓が悪くなってきたのでステントを入れるかという話になったが、それは、いやだという。
入院するか、在宅で最後をみるか、選択を迫られている。
とうぜん、本人は在宅を希望。みな、それがよいと思っている。
有能な医師がいるかどうかにかかている。そういう在宅で看取るための体制があるかということである。
自治体ごとの力量がとわれる。
地域の医師会、看護、介護などの多様な職種がいかに連携し、利用者中心に体制を整えられるか、それにかかっている。
一人の人生が終わろうとしている。
尊厳ある死をどう作っていくのか、先進国としての我が国の高齢者福祉の神髄、実力が試されている。
家族として最善の体制をつくりたい。
治療の段階は終わった。
いつか必ず来るその日、のために、よりよい最後を考え抜いて創る。