3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

母を看取る時 1: She is dying.

2013-06-09 19:19:12 | 日記
母の具合が悪くなり、いよいよ本格的に終末期にはいってきた。

身の置き所がない、こんなにみんなに迷惑をかけていきたくない、
みんなに集まってもらって、薬を打ってもらって死にたい、などというようになり、子どもとしては、それこそ身の置き所がなく、励ます言葉もなくなってきた。

腎臓が悪くなってきたのでステントを入れるかという話になったが、それは、いやだという。
入院するか、在宅で最後をみるか、選択を迫られている。

とうぜん、本人は在宅を希望。みな、それがよいと思っている。
有能な医師がいるかどうかにかかている。そういう在宅で看取るための体制があるかということである。

自治体ごとの力量がとわれる。
地域の医師会、看護、介護などの多様な職種がいかに連携し、利用者中心に体制を整えられるか、それにかかっている。

一人の人生が終わろうとしている。
尊厳ある死をどう作っていくのか、先進国としての我が国の高齢者福祉の神髄、実力が試されている。

家族として最善の体制をつくりたい。
治療の段階は終わった。
いつか必ず来るその日、のために、よりよい最後を考え抜いて創る。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子どもたちにシューベルトやシューマンの美しさと面白さをどう伝えるか

2013-06-09 15:50:09 | 音楽ノート
http://www.youtube.com/watch?v=ZaaQHghPNXA

偶然なのだが、you tube でとても面白い試みをみた。

ドラマ仕立てで、シューベルトの「アトラス」や「魔王」、シューマンの「私は恨まない」、アーンも入っていた、などを低学年の子どもたちに向けて提供する舞台でのプログラム。

ものすごく高い歌のピアノ技術が必要だろうが、それだけでなく、子どもに何をどう伝えたいのか、という思想が流れていてとても感動した。細部にわたってよく練られた台本、音楽、子どもたちも参加していた。

歌曲はどれも短いながら一遍の物語。
だから子どもにもちゃんと伝えれば面白いものになるのだ。

クラシックというの堅苦しく退屈で、高価なもの、というイメージが日本にはあるが、そうではない。

日本のクラシック界はもっともっとやるべきことがあると思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする