3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

ブラームスの歌曲集 Dieskau

2012-02-18 08:27:15 | 音楽ノート
Hamburgのブラームス記念館で出会ったピアニストはだれだったか、今でもあのピアニストの伴奏で「五月の夜」が歌いたかったなあと思うと残念でたまらない。どんなにか気持ちよかっただろう。

ブラームスの歌曲はステキだ。
オッター、シュッツマン、ディスカウのものをもっているが、どれもなかなかよい。
ディスカウのは6枚組で、ほとんどのものをフォローしている。

四つの厳粛な歌OP.121 はブラームス最晩年の作品。
生涯の恋人であり友人であるクララも逝き、その追悼式にブラームスが歌ったという。

シューベルト、シューマン、ブラームス、この3人の歌曲はそれぞれ個性があり、それぞれにすばらしい。
これらのドイツリートを歌い尽くすには一生かかっても時間が足りない。


四つの厳粛な歌の第一曲の出だしは、「黄金虫」と同じメロティで始まる。
中山晋平先生は知らず知らずのうちにこのブラームスのメロディからヒントを得て、黄金虫を作曲したのだろうか?

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年金の議論のおかしさ-いつまでも若い人でいられるわけではないでしょうに

2012-02-17 09:30:03 | 現代社会論
公的年金制度をどうするか、議論が続いている。

公的年金は加入年40年だから100年単位で考えなければならないことは確かだ。

よく現役世代VS受給を受ける世代=年金の恩恵に浴する世代と対立させて捉えられる。

若い人の負担が大変というが、若い人が生涯若いわけではないことを分かっているのかと思う。
働ける時にそれなりの年金制度維持と今、高齢期にあるひとのために税金を払い制度を維持しておく。それで、自分が年をとって働けなくなった時に安心してそれなりの生活費を年金として受給する。
そいういう制度が公的年金制度である。

世代間対立は遠目にみればそうだけど、そこにいる人々は常に入れ替わっているのである。
ずっと現役ということはありえないのだ。
いつか高齢期が来て、死が訪れる。
いつまでも若くて現役だなんて考えないことだ。

そう考えると年金制度が身近に感じられるだろう。
40年先なんてどうなっているかわからないと今若い世代を歩む人は思うだろうね。
でもね。すぐ40年なんて経ってしまうものなんだよ。

ある時までは肩車していても、次の瞬間、肩車される方に回るんだ。

世代間対立というよりもむしろ、これは、年金に依存せざるを得ない人々と年金なんてなくてもやっていけると思い込んでいる人との意見の相違による対立だ。

現実の高齢者の生活は、けっこう厳しい。公的な年金依存率は高齢になればなるほど高くなり、80%ぐらいの人は、全面的に公的年金に依存せざるを得なくなっている。
公的年金なんてなくてもやっていける、貯金や株があるから大丈夫とおもっているそこのあなた、現実はそう甘くはないよ。預貯金や株でやっていける層はけっして多くはないのだ。

御神輿から騎馬戦、そして肩車。なんとか担ぐ人の負担を軽くしなければならないのはわかる。年金額を減らすとか、担ぎ手を何らかの方法で増やす(例えば、専業主婦に保険料払わせるとか・・・)、税金を投入して負担を軽減するとかいろいろ考えられる。今が踏ん張りどきと思い、肩車型を少しでも騎馬戦型に変えていく努力も同時にしなければならない。公的年金制度を崩壊させてしまうということは、肩車の荷を捨ててしまうことである。それは、そこらじゅうに高齢者のホームレスがあふれることを意味する。
それでもよいのか。それぞれが定年後の自らの生活設計を真剣に考えてみる必要があるだろう。
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石岡瑛子さんを惜しむ

2012-02-14 10:26:04 | 現代社会論

ニューヨークを拠点に、世界中の観客を魅了するデザインを生み出し続けてきた石岡瑛子さんが1月に亡くなった。
私が子どものころから、個性的な広告の代表的作品をずっと生み出したきたひとである。

仕事への情熱とこだわり、NHKの仕事の流儀の再放送はなんどもみて、感動した。
1ミリにこだわる仕事の仕方。こういう仕事師、職人気質の人が何人いるだろう。

石岡さんの仕事の流儀、オリジナルであること、革命的であること、そして、時代を超えたものであること。
なるほど、これらが新しいものを生み出す原動力となる視点なのか。

若い人にぜひ、この3つを伝えたいとおもっていたのだろう。

プロフェッショナルとはという問いに彼女は次のように答える。
与えられた条件をクリアしながら、それにとどまらず、もっと高い答えを生み出すことだ。それが本当のプロフェッショナルだ。

あまりにカッコいい。

常に高い理想を掲げること、そうしないといられない人だったのだろう。

今、この傾きかけた国をなんとかできるのは、こういうこだわりをもつ人たちである。
芸術も学問も政治もすべてこのスタンスが大切と思う。

ウケ狙いの劇場型政治、そんなものに引きずられる国民はいらない。

オリジナルで革命的で時代を超えた仕事を考え実行できる人が必要なのである。
そこには、平和と人権を守るというこだわりが必要なのである。
その場の似非、革命はいらない。
おだやかなしかし芯のある変革者、国民ひとりひとりがそういう生き方をはじめたとき、日本は世界をリードする国に変われるのだろう。

石岡瑛子さんに
ブラームスのピアノ協奏曲1番ニ短調(ゲルハルト・オピッツ)を捧げたい。




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公的年金制度を考える―高齢期とは失業と疾病状態が続くということなのである。

2012-02-12 18:15:26 | 現代社会論
年金制度、しかも高齢者が受給する年金が槍玉にあがっている。
槍玉にあげているその人もいつか年を取るのにねえ。なにいってんだか。想像力の乏しさに馬鹿いってんじゃないよとちゃぶ台ひっくり返して怒りたくなるのは私だけか?

低所得の人には特別に手当するから、あとは自己責任でやりましょう、なんていう。
そういうやりかたを選別主義というのである。
選別して限定して特別扱いするやりかた。そうするとますます階層間の葛藤が深まってよくない。
というか、だれでもそんなに安定した生活が一生続くわけではないことを肝に銘じるべきである。

高齢期とは、失業状態にあり、また、疾病状態になりやすい、しかも先が見えないきわめて不安定な時期なのである。
そういう時期が必ず長生きすればやってくる。そのために年金制度があり、医療制度があるのだ。
いくら貯金があるからといって、生命保険にはいっているからといって、自己責任でやれるわけがないのだ。

貯金額を20年で割ってみよ。一ヶ月、あなたは、公的年金なしに何年やっていけるのだろうか。
年金制度を本当に理解しているまともな人は少ない。結局、素人みたいな奴が、したり顔にあれこれ言う。耐えられない。
マスコミの報道内容も浅すぎる。センセーショナルに書き立てればよいというものではない。見識を疑う記事が多過ぎる。

なんとかしなければならない。まともな年金学者、社会保障学者はいないものか。
暗澹たる気持ちになる。


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本郷中央教会と足尾鉱毒事件

2012-02-10 12:42:11 | 現代社会論



足尾鉱毒事件については田中正造があまりにも有名だが、キリスト教の女性団体が果たした役割も大きい。
鉱毒地救済婦人会、この団体の中心は日本キリスト教婦人矯風会である。当時の廃娼運動の中心運動団体である。
矯風会の女性たちが中心となって、鉱毒地救済婦人会は、明治34年12月6日に発足した。

12月10日が正造の天皇直訴の日である。正造は矯風会の女性たちと交流があったから、このふたつは同時多発的な世論喚起の仕掛けとも考えられる。

天皇直訴が当時の若者に与えた影響は大きかった。
直訴を記事を新聞で読んだ石川啄木は、まだ、中学生だったが、この問題をとりあげ、みずからビラをつくり校内に配ったという。正造の直訴に敏感に反応するところは、いかにも革命的詩人の啄木らしい。

キリスト教女性団体の被災地救済を呼びかける街頭演説や教会を拠点にした演説会には多くの人々が集まり、小さな北関東の公害問題だった足尾鉱毒問題は一躍全国の問題と新展開していったのだ。

12月20日、本郷中央教会(当時は中央会堂)で、足尾の被災地支援のための演説会が行われた。
そこには若き日の河上肇がいた。募金箱が回ってきても貧乏な帝大生の河上はお金がなかった。そこで、外套、羽織、襟巻きを脱いで渡したという。
しかも、下宿にかえって、身に付けた衣類一枚を残して、行李の衣類をすべて人力車夫に託して寄付したという。逸話のような本当の話がある。この奇特な学生については新聞でもとりあげられた。

先日、中央教会の前を通ったので写真を撮った。
鉄血河上青年が見た風景と今はまったく異なるが、歴史の重みを感じる。

この教会は明治23年設立、関東大震災で焼失したが、昭和4年に再建された。
明治時代はコンサートホールとして鹿鳴館、藝大の奏楽堂とならぶ存在だった。そして初代のパイプオルガンの奏者はエドワード・ガンレット。この妻は日本人として正式に最初に国際結婚したといわれる山田恒子、すなわちガンレット恒。作曲家の山田耕作の実の姉である。山田耕作は義兄から強い影響を受け、音楽の道に入っていったのである。ガンレット恒は、婦人参政権運動の中心的人物であるが、日本キリスト教矯風会のメンバーでもあった。初代会頭の矢島楫子を親のように慕っていた。
1920(大正9)年、矯風会の世界大会がロンドンで開催されることになり、日本代表としてガンレット恒と当時87歳の楫子が出席したとのこと。楫子は87歳にもかかわらず、英語できちんとスピーチをしたという。


多くの小学校唱歌を作曲した岡野貞一は、エドワード・ガンレットの次にこの教会のパイプオルガン奏者になっている。山田耕作とともに東京音楽学校(東京芸術大学)の教授をしながら、ながくこの教会でオルガンをひいていたそうだ。

今回の東北の大震災の被災地で、ふるさとが歌われるとのこと。作曲したのはこの岡野貞一だ。

足尾鉱毒事件の被災地救済婦人会の演説会から110〜111年経ってしまった。教会は今も変わらず、通り過ぎた多くの若者の思いをみつめている。

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