3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

年金の議論のおかしさ-いつまでも若い人でいられるわけではないでしょうに

2012-02-17 09:30:03 | 現代社会論
公的年金制度をどうするか、議論が続いている。

公的年金は加入年40年だから100年単位で考えなければならないことは確かだ。

よく現役世代VS受給を受ける世代=年金の恩恵に浴する世代と対立させて捉えられる。

若い人の負担が大変というが、若い人が生涯若いわけではないことを分かっているのかと思う。
働ける時にそれなりの年金制度維持と今、高齢期にあるひとのために税金を払い制度を維持しておく。それで、自分が年をとって働けなくなった時に安心してそれなりの生活費を年金として受給する。
そいういう制度が公的年金制度である。

世代間対立は遠目にみればそうだけど、そこにいる人々は常に入れ替わっているのである。
ずっと現役ということはありえないのだ。
いつか高齢期が来て、死が訪れる。
いつまでも若くて現役だなんて考えないことだ。

そう考えると年金制度が身近に感じられるだろう。
40年先なんてどうなっているかわからないと今若い世代を歩む人は思うだろうね。
でもね。すぐ40年なんて経ってしまうものなんだよ。

ある時までは肩車していても、次の瞬間、肩車される方に回るんだ。

世代間対立というよりもむしろ、これは、年金に依存せざるを得ない人々と年金なんてなくてもやっていけると思い込んでいる人との意見の相違による対立だ。

現実の高齢者の生活は、けっこう厳しい。公的な年金依存率は高齢になればなるほど高くなり、80%ぐらいの人は、全面的に公的年金に依存せざるを得なくなっている。
公的年金なんてなくてもやっていける、貯金や株があるから大丈夫とおもっているそこのあなた、現実はそう甘くはないよ。預貯金や株でやっていける層はけっして多くはないのだ。

御神輿から騎馬戦、そして肩車。なんとか担ぐ人の負担を軽くしなければならないのはわかる。年金額を減らすとか、担ぎ手を何らかの方法で増やす(例えば、専業主婦に保険料払わせるとか・・・)、税金を投入して負担を軽減するとかいろいろ考えられる。今が踏ん張りどきと思い、肩車型を少しでも騎馬戦型に変えていく努力も同時にしなければならない。公的年金制度を崩壊させてしまうということは、肩車の荷を捨ててしまうことである。それは、そこらじゅうに高齢者のホームレスがあふれることを意味する。
それでもよいのか。それぞれが定年後の自らの生活設計を真剣に考えてみる必要があるだろう。
コメント
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