3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

渋沢栄一は資本主義の父? 慈善事業にも尽力したことで有名

2019-04-10 12:35:47 | 現代社会論
一万円札の新しい顔となるのが渋沢栄一である。
深谷出身だ。その居は北区西ヶ原あたりにあり、なくなるまでそこで過ごした。北区渋沢栄一記念館を訪問するといろいろわかる。飛鳥山にお花見にいったついでに記念館に行くとよい。

渋沢は資本主義の父などといわれているが、資本主義には失業、貧困がつきものである。だからというわけではないが慈善事業にもその名をとどめている。

渋沢は実業界の中でも最も社会活動に熱心であったといわれる。財閥を作らず、そのかわり慈善事業や社会事業にかかわった。
東京市からの要請で養育院の院長を務めたことは有名である。
東京慈恵会、日本赤十字社、癩予防協会の設立などに携わり財団法人聖路加国際病院初代理事長、財団法人滝乃川学園初代理事長、YMCA環太平洋連絡会議の日本側議長などもしている。
関東大震災後の復興のためには、大震災善後会副会長となり寄付金集めなどに奔走している。

東京養育院は 明治5 (1872) 年に明治新政府が維新の混乱による困窮者救済のため営繕会議所の付属機関として養育院掛を設け,老幼 240人を収容したのが始まり。その後経営は東京府営 (1876) ,東京市営 (1890) ,東京都営 (1943) と変り,事業内容も行路病者,迷子,捨て子,刑期中の病者などさまざまな種類の対象者の一括収容から,次第に施設の専門化が行われ今日にいたっている。この養育院の初代院長が渋沢栄一である。

ついでにいうと北里柴三郎も細菌学者として有名だが、済生会の初代院長(大正4年~大正12年7月)でもある。済生会というのは
明治44年2月11日、明治天皇が時の内閣総理大臣桂太郎を召され、「医療を受けられないで困っている人たちが、よい医療を受け、再起の喜びをもてるような施設をつくるように」という趣旨の『済生勅語』と、その基金として御手元金150万円を下賜された。これを元に伏見宮貞愛親王を総裁とし、桂総理大臣が会長に就任し、5月30日、恩賜財団済生会が創立。その初代院長が北里柴三郎であったということである。
こういう形で戦前期は社会事業と皇室が密接につながっていたのだが、そして、今でもそういう傾向ではある。

明治の人々が偉いのは、金儲けをして富を蓄え、また研究者として大成してもその一方で貧困や病に苦しむ人々のために何かをやろうとおもっていたことである。

最近の財界政界、お友達優遇で貧困や病に苦しむ人々のために何かやろうなんてこれっぽっちも考えていないよね。情けない。

安倍政権はお札を印刷するだけでなく、渋沢や北里、津田梅子の偉大さをきちんとお勉強すべきなのではないだろうか。
津田梅子が見たら今の政界の体たらく、女性議員の少なさを嘆くと思うのである。日本の女は高い教育を受けてもそれを社会に還元していないと。高い教育を受けて長生きしても社会に役立てていないというのが問題なのである。



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