3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

年金はどうあるべきなのか

2011-10-20 06:09:26 | 福祉政策
年金支給年齢を68歳に伸ばすという案が示された。50代以上は猛反対だろう。

ずっと保険料を支払ってきた世代にとって、どうなのか。仮に60歳で定年を迎え、退職金を少しもらって、それを糧に年金支給年齢の65歳まで持ちこたえようと考えているはずだ。
60歳というと、まだ、妻は50代で、娘や息子はもしかすると、大学を卒業しておらず、学費がかかるかもしれない。80代後半の両親、妻の両親も健在で介護などで手がかかっているかもしれない。68歳まで8年間どうやってもたせるのか。退職金を取り崩す、貯金を取り崩す、子どもから仕送りを期待するも無理。貯金もなく、退職金の多くは住宅ローンに返済に消えてしまったらどうするのか。高齢の両親へ、少しは仕送りをせねばならない、ということも考えられる。

老後の不安は募るばかりである。だいたい68歳支給だなんて、年金支給される前に死んじゃうかもしれないと思うと払う気持ちが失せるかもしれない。
支払ったものに少しでも還元されるべきとおもうので、やはり、65歳を越えての支給はやめるべきかと思う。

税と社会保障の一体改革、新車に乗り換える案が民主党からだされている。
でも、年金制度の枠組みは政治体制が180度転換するくらいの変化がないと変えてはいけないのが鉄則である。
国民に老後の生活を保障するという約束で始めた以上、支給年齢をどんどん先送りするなんてのは、まやかしである。
年金は古民家を保全するように修復していくことが必要である。

老後は生活の糧を失う。それが老後だ。年金の役割は若い世代とちがってものすごく重い。
60過ぎれば病気や怪我で働けなくなる人たちが多数でるのが常である。
定年年齢と切れ目なく、ある程度の年金が、生活保護ぐらいの年金額が支払われなければ、高齢者が多く生活する国全体に不安が蔓延することは必至である。

みんな元気で68歳まで仕事があって働けて、貯金もあって、住宅も持ち家であって、ローンの心配もなければいいが、果たしてそんな人が、この震災を経て、一体何人いるのか。
支給年齢の延長は慎重にすべきである。

若者は裸一貫、一から始められるが、高齢者はそういうわけにはいかないのだから。

老後の心配なく生涯を終えることができる、それが、産業革命後に生まれた社会保障システムの真髄である。定年制をひかなければならない産業社会、そのシステムが編み出した相互扶助のしくみが労働者全員参加型の社会保険である。



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