3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

公的年金制度の意義を考えよう

2011-10-28 13:33:49 | 福祉政策
年金について、たとえば、年金制度破綻の元凶は役人、特殊法人、特別会計にある、とする意見がある。

「何のことはない。サラリーマンらがせっせと積み立てた年金原資は役人の天下り先の特殊法人や「官のサイフ」と呼ばれた特会に流れ、浪費され、枯渇しただけなのだ。これじゃあ、どんなに保険料を納めても、穴の開いたバケツで水をくんでいるのと同じ。役人の怠慢のツケをなぜ国民が負担するのか
厚労省は09年、年金にかかる財政検証結果を発表。年金積立金の運用利回りを「名目4.1%」と設定していたが、昨年度の実績はマイナス0.3%と惨憺(さんたん)たるものだった。その責任も取らず、ツケをすべて国民に押し付けようとしているのだ。
 こんな厚労省の暴走に加担している野田政権は国民を不幸にするばかりだ。」


なるほど、確かに年金積立金運用に問題はあるだろう。しかし、だからといって年金制度そのものを崩壊させていいものだろうか。

今は、年金制度を良い形で持続可能な制度にする方法を考えるしかないのだ。

老齢年金だけではなく、障害年金や遺族年金などを考えると、年金制度はなくてはならない社会システムである。すくなくとも先進国ではそういうことになっている。運用上の問題があるからといって年金制度そのものを否定するのはいかがなものか?

公的年金制度を否定して、私的な保険や貯金でやっていけると思ったら大間違いだと思う。それが無理だから、皆で保険料をだしあう制度をつくったのだから。イギリスがどのようにして無拠出の老齢年金制度をつくったか、そのプロセスをみればわかる。ドイツもしかり。労働者の老後や疾病障害に対応するためである。


公的年金制度はだれが政権をとろうとも必要な制度である。崩壊させてはならない。

公的年金制度を否定するのは、財務省の役人がひどいから、税金納めない、ってごねている税金逃れがいるが、そういうのと基本的に同じ構造をもつと思う。

もちろん原資の運用については透明性をはかることは前提であり、これまでのむちゃくちゃな運用の責任は当然、きちんととらせなければならない。

国民と政府の間の信頼関係を確立しつつこの制度を育てていかなければならない。
老後の生活資金の不安や若くして交通事故などで障がいをもったときにどんなに公的年金制度があることで救われることか。

人間は人生のいつのときでも強者でいられるわけではないのだ。










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