3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

時代の変化に対応できない生活保護行政施策:放置と怠慢

2012-08-05 14:48:51 | 現代社会論
最低賃金が少しだけあがり、保護費と最低賃金のギャップが少し改善されたようである。

しかし、不正受給はあとを立たず、福祉事務所職員の保護費の着服など、生活保護をめぐる醜聞はあとをたたない。

不況になると必ず福祉削減、福祉は聖域にあらず、という論調が出てきて、生活保護が必ず標的にあい、適正化の流れが加速するのは常である。
そして、生活保護の適正化をすると本当に必要な人々が餓死するという適正化への反論がでてくる、これもいつもの流れである。

どっちが正しいのかと戸惑う。
たしかに中間層の転落、生保層への転落はあるのだろう。
そして同時に50年体制そのものをひきずっている生活保護行政の体質は自浄作用を失っているともいえよう。
福祉事務所の慢性的人手不足は、生活保護の理念、自立助長という、をすっかり画餅とさせている。
理想のソーシャルワークとは程遠く、まともにやろうとすれば上からは圧力がかかり、地方財政を圧迫するので、自力ではどうすることもできず燃え尽きるだけ。
福祉事務所のワーカーに蔓延する脱力、虚無感。

時代の流れに対応して変化させてこなかった生活保護行政のつけと構造的問題がいままさに白日の下にさらされている。

生活困窮していればいるほど自力でやっている国民の生保受給者へのまなざしは厳しい。
不正受給は徹底的にバッシングされる。

生保行政の構造的怠慢は不正を見抜くこともただす力もなくスルーするだけである。

一方、富裕層は無関心で、低所得層への想像力を欠いている。富裕層はある意味で勝ち組だから、負けた人々は努力が足りない、彼らは惰民と切って捨てる。

適正化に反対し、餓死者がでるという警告だけでは、この問題を解決できないと思う。
生保は他法優先である。他法を充実することで、生保層への転落はかなり防げるのである。
雇用問題だけでなく、年金や医療、介護、住宅、教育、障がい者(とくに精神保健福祉)の保障、サービスを徹底してきちんとすれば生保に頼らなくてもよくなるはずなのである。

生保だけの問題ではなく、社会保障(住宅を含む)全体としてそれこそ構造改革をする、議論をする必要があるのだ。



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