3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

ボストン・マラソンの爆破事件

2013-04-23 10:12:45 | 現代社会論
ボストン・マラソンの爆破事件の容疑者はチェチェン出身の兄弟だった。
これがテロなのか不明だが、確かにどこかのテロ組織とつながっているのだろうが、どちらにしてもこの兄弟は幸せではなかったのだろう。兄はボクシングでアメリカ代表になりたいとおもっていたそうだから、アメリカが好きだったのだろう。弟は医師になることをめざしていた。
しかし、それが憎悪に変わった。何をきっかけに?

アメリカは自由を標榜していて、多くの移民を受け入れている多民族国家であるが、その実、キリスト教を信仰する白人中心社会であり、それ以外は排除される傾向にあるのだろう。
夢を実現できなかったものは挫折と敗北感のなかで、強固な白人社会に対し憎悪を募らせる。異なる宗教、とりわけ9.11以降はイスラムに対してはアメリカ白人社会は敵対意識をもっている。民族や宗教対立が生活レベルにおいて起きていて、それが憎悪になり、テロに走らせるのだろうか?

アメリカは銃社会であるから、いつでもこの手の事件は起こりうる。銃乱射だってありうるのだろう。テロ組織とは結びついていなくても、社会の底で憎悪は深く広がり、一発触発の危機状態はそこらにいつもあるのかもしれない。

アメリカの深い闇を感じる。

みなビジネスに忙しく24時間働いていて、何不自由なく暮らしているように思える。しかし、そういったサークルから外れた人々、憂き目にあっている人々は体制そのものに憎悪するようになるのだろう。コミュニティのなかでどのようなポジションを得るのかが重要かもしれない。
富裕でなくても豊かさを国民が感じることができるようなそういう政策がなされなければならないのだ。

日本だって、秋葉原事件をみると、テロではないものの、内なるテロのように思える。
地域社会や企業社会のなかでそれなりに存在を認められ生活の安定が図られていればテロには走らないのだろうに。

別のツールで社会に異議を申立て、発信する方法をとるだろうから。





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