3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

モハメド・アリを追悼する

2016-06-05 15:32:34 | 現代社会論
モハメドアリが亡くなった。74歳。1942年生まれ。
ローマオリンピックで金メダルを取って、帰国したが、当時のアメリカは人種差別が激しく、黒人はレストランに入れてもらえなかった。
アリは怒って、オハイオ川に金メダルを捨てたのだそうだ。アメリカのために戦って得た金メダル、だが、アメリカは黒人のアリには冷たかったのだ。

その後、マルコムXに傾倒し、イスラム教徒となる。キャシアスクレイという本名は奴隷の名前だといってやめて、モハメドアリに改称したのだ。
60年代のアメリカ、公民権運動がさかんとなり、アメリカは熱かった。

ベトナム戦争の徴兵拒否でタイトルを剥奪された。
ベトコンは俺のことをニガーといわない、といって、罪のないベトナム人を殺すベトナム戦争を拒否したのだ。

なんてかっこいいのだ、と当時も思ったが、今、彼の死を聞いて、改めて彼の人生を知り、その苦難をしるにつけ、

アリの言動の根底に人種差別への強い抵抗、アメリカ社会への批判があったのだと思う。

アトランタオリンピックの最終聖火ランナーとしての姿、パーキンソンで痛々しかったが、震える手で点火したシーンを思い出すと感動を覚える。

あのあと、かつてオハイオ川に投げ捨てた金メダルを再授与されたというのを読んで、そんなドラマがあったのだとますます感動してしまった。

アリは、口が悪いし、決して紳士的とはいえない言動だったが、憎めない人格だったと思う。
子どものころは、確かにヒーローだった。

アリが亡くなって、あらためて、その人生について、多くの人が知り、語ることが必要である。
我々は、アメリカが人種差別の国であり、ベトナム戦争では多くの罪のないベトナム人を殺戮し、それが、第二次世界大戦後の所業であることをもっと知らなければならない。

ヒロシマナガサキで核を使用しただけでなく、そのあとベトナム戦争で枯葉剤を散布し、つまり化学兵器を使ってばらまき、今でもベトナムはその後遺症に苦しむ人々がいるということだ。

アリは死してなお、我々にアメリカの黒人への人種差別、奴隷制度、ベトナム戦争を思い起こさせる。

ヒロシマナガサキ以後の世界は依然として不安に満ちているということを我々はもっと知らなければならないのである。

アメリカの人種差別と公民権運動の展開について、もっともっと知るべきなのである。






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