3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

ロシアよ、このくらいの抗議に過敏に反応しては小国と世界に思われてしまうよ

2014-02-21 13:03:11 | 現代社会論

Photo: AP


ウォール・ストリート・ジャーナルによれば、

ソチでプッシー・ライオットのメンバーたちがコサックに攻撃された(19日)
【モスクワ】ロシア南部ソチの五輪会場付近で19日、同国の女性パンクバンド「プッシー・ライオット」がロシア政府を批判するパフォーマンスを始めたところ、制服姿のコサック(ロシアの伝統主義者で構成され、予備警察隊として活動することが多い民間警察組織)の一団に乗馬用のムチで打たれるなど暴力を受けた。

 メンバーの1人、マリア・アリョーヒナさんは同日、(WSJ)との電話インタビューで、自分を含むメンバーが政府に抗議する歌を歌い始めたところ、自分たちと動画を撮影していた他の4人が、15~20人のコサックや10~15人の私服警官に殴られたと語った。

. 「歌が始まって数秒すると、彼らが私たちを警棒や唐辛子スプレーで攻撃し始めた。最初の節も終わらないうちだった」とアリョーヒナさんは述べた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ロシアは大国なくせにやくざなどこぞの国のようなことをするんだね。
文学、オペラなど高いレベルの文化、歴史をもちながら、こんなことが世界に発信されてしまうと、やっぱり、文化レベルがひくいと軽蔑されるのが関の山。

反政府勢力の思うツボである。

世界は女性への暴力を許すほど、以前のように甘くはない。
この写真と動画は、同時に世界発信されていて、プーチンも頭を抱えているだろう。
それが何かと思っているかもしれないけれど。

「ムチ」なんてなんて野蛮。
これで、ソチのよい思い出も水の泡

ロシアの文化レベルの低さが世界発信されてしまった悲しい日である。






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「明日ママがいない」には思想がない 5 :現場施設関係者からの批判をどう受け止めたのか不明

2014-02-21 12:18:49 | 現代社会論
明日ママがいない、に対する養護施設関係者からの批判を受け、どこがどう変わったのか見たくてHPでみた。
が、取り立てて何も変わっておらず、逆に意味不明な魔王?の演説になっていた。

日テレの制作部っていうのは、最近の養護施設っていうのをまるでわかっていないのに、つくちゃったんだということがよくわかる。

脚本も演出も実は現場に行っていないだろうなあ。
何人の職員、子どもたちに会ったんだろう。
ドラマティックな展開、奇をてらった演出、商業主義がドラマの根底にあり、ただ、養護施設といういかにもドラマがありそうな材料で作ったというところだろう。

しかし、現実はそう甘いものではなく、制作者の甘さがもろに出てしまい、現場から批判を食らったというところだろうね。

とにかく、お涙頂戴のドラマをつくろうとしているという姿勢が根底にある。
育児放棄、棄児、DV、借金、親の拘留、蒸発、貧困・・など、養護施設や乳児院に暮らす子どもたちの生育環境をみれば、ドラマを一から作るよりずっとドラマティックな素材が得られるだろう。

しかし、その素材を使って、何を社会に訴えるのかが見えない。明日ママがいない、というドラマには、思想がないのである。

あの取り上げ方では、施設に暮らす子どもたちのみならず、同じような境遇にある在宅の子どもたちにも精神的なダメージを与える可能性があるだろう。

子どもの人生を受け止め、高校や大学に進学させ、就職する道を探し、社会へ送りだそうと日々努力している職員の努力に水を差すようなドラマになってはいけない。
学校現場だって、いろいろな犯罪があるだろうし、施設だって皆無ではない。
が、しかし、施設がみなあんな施設長、児相の職員があんなキャラだとみなが錯覚してしまう描き方は問題だ。それはこの業界にとって致命的だ。

そう、致命的なダメージにつながると思う。


施設で暮らす子どもたちをめぐる状況は深刻である。家族の崩壊は広がり、子どもの心は壊されている。

児童相談所や施設職員は日々試行錯誤を繰り返し、解決の道を探っている。

専門的な取り組み、子どもたちへの様々な生活支援の実際などを丹念に描くことを通して、この問題を社会に発信することは可能である。
この問題に対して、社会の関心を喚起する、それがTV制作の使命だろう。

子どもをめぐる問題は深刻である。
そこで日々取り組む職員たちの苦悩も、子どもの問題が複雑であるだけに深い。
また、社会保障予算の圧縮もあり、貧弱な施策となっており、職員の労働条件も不十分。そんななかで必死に戦っている現状を訴えることだってできるはずである。


翻って、あのうすっぺらい、のっぺりした内容はなんだ。
聞きかじったせいぜいインターネットレベルの情報で都合のよいものだけを集めてドラマを作ってはいけないのである。
だから、現場から「ちがう」といわれてしまうのである。

職員による上から目線の対応?子どもたちの生育環境や精神的不安など、とりあえずいろいろな要素を入れてまぜこぜにして、結局、制作者の目線が上から目線であるということだろう。

今後、この手のドラマを作るなら、2週間ぐらいは実習してからがよいと思う。または、3か月ぐらいボランティアをして、そこから、本当の意味での社会派のドラマを作ったらよい。

もっとも日テレにそんな真面目なプロデューサーがいるとは思えない。今回の対応をみれば歴然としている。

いつまでも福祉といえばお涙頂戴がテーマであり、職員の専門性などまったくない、せいぜいボランティア程度のレベルの仕事としかとらえていない。
以前どこかのドラマでは、20歳の精神保健福祉士が登場して顰蹙をかっていた。精神保健福祉士は四年制大卒後国家資格試験に合格しなければなれないのだ。20歳はありえないが、ドラマだからといってそういうことを軽くやってしまうのでマスメディア。

まことにお粗末な知識、福祉観であり、時代を拓くドラマ作りなんてことはみじんも考えていない。
もっとも日テレなんかに期待するべくもないのだが。



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浅田の巻き返しは称えたいけど:「私なり」の恩返しできた

2014-02-21 09:13:27 | 現代社会論
浅田のフリーでの巻き返しは素晴らしく6位に食い込み、めでたしめでたしの雰囲気。

みな、そうだ、最後まであきらめずにがんばって、とか、記憶に残る演技を、などと声援を送っていたので、日本人は、それなりに満足しただろう。
というか、当初の目標は金メダルだったので、それにははるかに及ばず、実は、とても落胆しているわけで、そういう落胆をなんとかしようと記憶に残る演技を、などとごまかしているようにも思える。

本人の弁、「私なり」の恩返しができた、と、自分に言い聞かせるように言っているのを聞くと、よかったねと思う反面、やはり、そこがちょっと甘いと思うのである。
浅田は応援しているし、批判するつもりもなく、基本的にはよくやったとほめたたえたいのだが、
この「私なりに」という言葉に「逃げ」を感じる。正面からとらえていないように思えるのだ。

結果が出せない時、私なりに頑張りました、という言い訳を若いもんがするのだが、私の仕事関係でそういう発言は禁句である。
結果を出せないことを冷静に分析し、ここが弱かったとか、力が不足していたとか、きちんと整理できなければならないのである。
「私なりにがんばりました」というのはいわゆる仕事ができない社員の言い訳常套句である。

そういう視点で辛口でみると、浅田はもう少し大人にならなければならないだろうと思う。

キムヨナだって同じような重圧に耐えていたはず。
銀で悔しいに決まっている。しかし、淡々としてインタビューに答えていた。
そこに大人の女の冷静さと器の大きさを感じる。
比べてはいけないが、まだ、浅田は子どもなのである。
だれかに依存しているのだ。精神的に。
周囲の人々とは一定の距離を保ち、これを機に本当の意味で、大人の女として一人立ち上がるときではないだろうか。






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