3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

リケジョは結構いる

2014-02-20 11:35:38 | 女性の地位
理系女子は結構いる。
理系男子の比率と同じようにいると思う。

昔だったら、女子大の家政学部に行くような女性はほどんどみなリケジョだった。
家政学部で被服学科ですというといかにもお裁縫が上手だとみな想像するだろうが、実は化学。
食物学科ですというとお料理が上手と思われるだろうが、実はリケジョなのである。
この30年ぐらいの間、やっと理学部や工学部に女子がふつうに入学するようになって、最近、開花したというのが本当のところだろう。

理学部の友人、超天才と思われるが、その彼のお母さんに会ったとき、正真正銘のリケジョだった。
普通の専業主婦だが、発想、反応、すべてリケジョの典型だった。

最近のリケジョ現象は、喜ばしい。裾野が広ければ広いほど傑出した人材もでるというもの。

かつては家庭にはいるしかなかったリケジョも、女性の社会進出でどんどん男性職場に参入し、つぎつぎに成果を上げている。
今までは女子の働き方と言えば、文系女子の腰掛みたいなものだったが、リケジョはしつこいから、どの職場にも根付き、粘り強く仕事をしていくだろう。
これからだと思う。むしろ、リケジョのほうが専門職の場合、女性役割を仕事に求められることは少ないので、やりやすと思う。



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満水で弁開いたまま…汚染水漏出:フクシマ対応にもっと関心を持つべきである

2014-02-20 09:29:40 | 現代社会論
フクシマの汚染の除去、廃炉作業が難航している。
当初から、これは予想されていたことである。
あのような大事故への対応は、30年や50年はかかるだろうといわれているから驚くことはない。

それにしても、世の中はソチのオリンピックに盛り上がっていて、フクシマはだんだん意識外に追いやられているように思える。
この悲惨な事故を我々は見ないふりをしようとはしていまいか。

浅田が高梨が羽生がといっているその時も汚染水は漏れ続け、また、それに懸命に対応している関係者がいるはずなのである。

2020東京五輪で公共工事がまた盛り上がりそうである。
今は、アベノミクスの消費税アップ前の駆け込み住宅建設ラッシュで工事関係者はそちらにとられているという。

その結果、フクシマでは、建築作業員などが足りないとのこと。
長期間の作業は被爆の関係で無理なので、作業員をどんどん変えていかなければならないという人材確保の難しさがある。

我々は大きな借金を抱えているようなもの、あるいは、重たい病気を抱えているようなものである。
一時、やれオリンピックだ、アベノミクスだと騒いでも、我々のその上機嫌の底には、重たいフクシマの問題が横たわってて、そこから絶対に逃れられないのだ。

大変なことだけれど、我々はフクシマにきちんと向かい合わなければならない。
脱原発はよいけれど、今のこの状況をどう乗り越えるのか、その真面目な議論なしに、脱原発の道はないと思うのである。
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浅田真央の失速:全体主義的日本の雰囲気が選手を潰している

2014-02-20 09:01:05 | 現代社会論
最近の日本人の全体主義的雰囲気はものすごい。右傾化のせいなのだろうか。

羽生の金、日本男児?としてだって。
時代錯誤もいい加減にせよ。

日の丸を背負ってとか、あまりにも全体主義的になりすぎている。
どこの国もそうだから日本だけじゃないとはいえ、目に余る。

税金使っているといって圧力かけるし…始末に負えない。「それじゃあ、自費でいくからほっといてくれ」と私だったらキレる。
教育だって福祉だってなんだって税金かけているのだ。大げさなこといって選手に圧力かけるのはよくない。

ロシアの応援なども自国の選手にあまりにひいきしすぎる感があり、田舎者の集まりなんだなあと思って冷ややかにみているが、日本の人々も競技そのものを楽しむというスポーツ観戦の成熟度はまだまだという感じである。

競争主義と全体主義がまじりあって、さらにマスコミの商業主義が加わり、こうして選手は潰されていく。

メンタルがどうのと、スケート靴はいたこともないようなおやじに言われたくないよね。
高梨についても同じ。

日頃、期待されても結果を出せずにいじけているサラリーマンがここぞとばかりにあれこれコメントする気持ちはわからないでもないが。

とにかく、全体主義で周りが見えなくなりやすい日本人。
こういうことを何度繰り返したら気がすむのかと思う。懲りない日本人。

東京オリンピックから50年。何年たってもこの体質は変わらないのだろうか。

沈着冷静でいつでも余裕綽々の成熟した文化をもつ我々のはずで、オリンピックについては、もう少し頭を冷やしたほうがよいだろう。

私は浅田真央にも高梨紗羅にも、心からお疲れ様、よくやったね、とねぎらいの言葉をかけてやりたい。

彼女らがまた楽しくスケートやジャンプに戻れるよう、それこそ日本全体で支えてやれるような環境をつくってやるべきだろう。

塩塗りの取材だけはやめてほしい。

東大絶対合格といわれていたのに、落ちてしまったわが子にどのように接するか、人生はずっと先まで続くのである。
その経験がばねになるような仕掛けが当然必要なのである。
不合格になったわが子、見捨てずに包容力をもって暖かく支えてやろう。

それが成熟した文化を持っているはずの我々のやれることである。



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