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サッカー日誌 / 2013年01月11日


ビバ!サッカー大賞2012(3)


カズのフットサルW杯参加に「話題賞」
日経のサッカー記事に「メディア賞」

★珍記録、怪記録も残したい
 その年を代表する日本サッカー界の出来事を「ビバ!サッカー大賞」の形で記録しておくことも心がけている。なかには、ふつうの表彰では対象にならないような出来事もある。
 2010年の表彰で、名古屋グランパスのストイコビッチ監督の快挙(怪挙)を取り上げたことがある。
 日産スタジアムでの試合で、負傷者の手当てをするためにゴールキーパーが大きくボールを場外に蹴りだした。そのボールが名古屋のベンチ前に転がってきた。
 ストイコビッチ監督が場外から相手ゴールめがけて蹴り返した。ボールはみごとにゴールした。実測52メートルのシュートだった。
 アウトオブプレーのときで試合の進行に影響はない。しかし、無粋な主審はレッドカードを出した。ぼくはストイコビッチの「遊び心」を「番外特別賞」とした。

★カズの対応に感心
 今回は「話題賞」を設けることにした。タイで開かれたフットサルのワールドカップに日本代表として出場した三浦知良(カズ)を取り上げるためである。フットサルが日本で地位を固めてきたことも、このさい記録しておきたい。
 カズを代表に加えたことには賛成できない。本来のフットサル・プレーヤーによるベストの戦力でワールドカップに参加すべきだった。
 しかし、友人たちは言う。
 「カズが加わったのでマスコミの話題になった。タイまで応援に行ったサポーターも多かった。テレビの視聴率にも貢献しただろう。フットサルのために良かったのでは?」
 カズは、話題づくりに使われていることを承知のうえで参加したのだろう。それでも、チームのために出来るだけ役立つよう努力し、またマスコミに対して謙虚に、また適切に対処した。そのことには感心した。

★中身の濃い日経の記事
 新聞や放送のサッカー報道の評価が必要だ。そういうことも、かねがね考えていた。これは「読売スポーツ賞」や「朝日スポーツ賞」では、できないことだろう。わが「ビバ!サッカー」の出番ではないか。
 メディアを対象に表彰したことはある。2010年には特に「メディア賞」を設けた。それを常設したいと思っている。
 そこで、今回は「メディア賞」に日本経済新聞(日経)のサッカー記事を選んだ。
 友人の日経記者の自慢話では「わが社のスポーツ記事は、もっとも中身が濃い」ということである。経済新聞だから一般紙との併読が多い。詳しい記録は一般紙に任せて、独自の角度からの評論や寄稿に重点を置いている。
 武智幸徳記者の「アナザービュー」や吉田誠一記者の「フットボールの熱源」などのコラムはユニークである。日経を購読していない方は図書館で読むようお勧めする。

【参考】これまでのビバ!サッカー大賞

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サッカー日誌 / 2013年01月10日


ビバ!サッカー大賞2012(2)


殊勲賞に「サンフレッチェのスタイル」、敢闘賞に宮間あや、技能賞に小倉前会長

★代表的な出来事を記録
 ビバ!サッカー大賞は、他の表彰では対象にならないような業績にスポットライトを当てることを趣旨としている。
 しかし一方で、その年にあった代表的な出来事を取り上げて記録することも心がけている。つまり過去の受賞者を見れば、日本のサッカーの歴史が一覧できるようにすることを狙っている。
 これがなかなか容易ではない。
 主要な出来事は多くの表彰の対象になっている。完全に重複を避けるのは難しい。
 また、サッカーが盛んになるにつれて出来事も多くなってくる。大賞一つでは主要な出来事をカバーしきれない。
 そこで殊勲、敢闘、技能の3賞を設けている。
 また独自の角度から選考し、他の表彰と重複しても授賞理由はユニークなものになるように心がけている。
 そこで、2012年度の3賞は……。

★広島独自のパス・サッカー
 殊勲賞には「サンフレッチェ広島のスタイル」を選んだ。
 選んだ理由は「独自のプレースタイルを作り上げたこと」である。その結果として初優勝した。その視点から評価した。
 サンフレッチェ優勝の要因は「守備力」だったという意見が多い。リーグの総失点は34で18チーム中、2番目に少なかった。
しかし、失点が少ないのは守りを強化したためというより「ポゼッション」の時間帯が長かったからだろう。
 これを裏づける数字が出ている。
 ピッチを攻撃、中盤、守備のエリアに分けて、パスの数を数えると広島は守備エリアへのパスがJ1最多、前方へのパスの比率はJ1最少だった(1月6日付、朝日新聞東京版=データスタジアム社集計)。
 独自のパス・サッカーのスタイルを作りあげて、それを貫いた。そのスタイルに森保監督は自信を持っていた。

★五輪と女子U-20W杯
 敢闘賞には、女子の宮間あや選手を選んだ。
 ロンドン・オリンピックのサッカーで、男子は4位、女子は2位だった。ビバ表彰の対象にはできかねる。
 しかし、オリンピックの年の出来事として、なにか記録しておきたい。
 そこで、女子の宮間選手を選んだ。主将として、また国際的プレーヤーとしての言葉と態度を評価した。
 決勝で米国に敗れたあとフィールドで泣きじゃくったが、表彰式には笑顔で出てきた。更衣室で「誇りをもって表彰式に出よう」と他の選手にも呼びかけたという。潔く、さわやかだった。
 技能賞には2年の任期を終えた日本サッカー協会の小倉純二会長を選んだ。長い間、国際関係を担当して着実に協会を支えてきた功績を思い起こすためである。
 また、U‐20女子ワールドカップ開催を引き受け、その準備を主として女性に担当させた。その見識と手腕を評価する。


【参考】これまでのビバ!サッカー大賞

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参考資料 / 2013年01月10日


これまでのビバ!サッカー大賞


2012年のビバ!サッカー大賞が発表されたのを機に、これまでの各賞を振り返ってみた。スペースの関係で選考理由はかなり省略しています。詳しく知りたい方はサッカーマガジンまたはこのブログのバックナンバーを読んでください。
(作成・公式サイト管理人、協力・蹴球亭)

◆1977年(サッカーマガジン1978年1月25日号掲載)
1977年10大ニュース
1)奥寺プロ入り、FCケルンへ
2)ペレのサヨナラ試合に大観衆
3)釜本が代表チームから退く
4)日本がワールドカップ予選敗退
5)日本代表ヨーロッパで合宿
6)古河電工が二冠王
7)高校選手権の首都圏開催成功
8)協会の新登録制度スタート
9)社会人、大学、少年の全国組織ができる
10)中国との交流が本格化へ

◆1978年(サッカーマガジン1979年1月25日号掲載)
大 賞:NHKのアルゼンチンW杯中継スタッフ
殊勲賞:読売サッカークラブ(2部から1部に昇格し4位になった。日本サッカーに新風)
敢闘賞:清水市サッカー協会(ブラジルに少年サッカーチームを派遣)
技能賞:サッカーマガジン編集部(日本サッカーが停滞するなか月2回サッカーマガジンを発行し続けている)

◆1979年(サッカーマガジン1979年12月25日号掲載)
大 賞:第2回ワールドユース大会で日の丸を打ち振ったファン
殊勲賞:高橋英辰(日本リーグ選抜を編成)
技能賞:釜本邦茂(韓国農協、FCアムステルダム、コスモスとの3試合とも得点)
敢闘賞:サッカーマガジン編集部(「メノッティ1353日の闘い」を連載)

◆1980年(サッカーマガジン1981年1月10日号掲載)
大 賞:奥寺康彦(ブンデスリーガで新たに3年契約)

◆1981年(サッカーマガジン1982年2月号掲載)
大 賞:トヨタ自動車工業株式会社(トヨタカップのスポンサーとして)

◆1982年(サッカーマガジン1983年2月号掲載)
大 賞:高体連サッカー部(高校選手権を盛り上げた)
技能賞:森孝慈(日本代表監督としてアジア大会での采配)
殊勲賞:該当なし
敢闘賞:NHK(スペインW杯を日本にテレビ中継)

◆1983年(サッカーマガジン1984年4月号掲載)
大 賞:古沼貞雄(帝京高校を4度目の日本一に)
殊勲賞:千葉進(読売クラブ監督代行としてリーグ優勝)
敢闘賞:勝沢要(清水東高校監督として芸術品のようなチームを作った)
技能賞:加茂周(日産監督として、木村和司の才能を見出し、天皇杯を獲得)

◆1984年(サッカーマガジン1985年3月号掲載)
中 賞:読売サッカークラブ(リーグ2連覇。ただし、古河戦のトラブルのため、暫定的に「中賞」。→1986年3月号で、その後の活躍をふまえ「大賞」になった)
敢闘賞:日産(代表戦での木村和司のケガでリーグ優勝を逃す)
技能賞:杉山隆一(ヤマハ監督として、外人なしでリーグ優勝争いにからんだ)
殊勲賞:某広告代理店(釜本のサヨナラゲームで国立競技場を満員にした)

◆1985年(サッカーマガジン1986年3月号掲載)
大 賞:トヨタカップ(特にテレビ中継のすばらしさ)
技能賞:木村和司(韓国戦でのFKと天皇杯準決勝での3点目)
敢闘賞:加藤久(日本代表の主将、読売クラブの選手として活躍)
殊勲賞:該当なし

◆1986年(サッカーマガジン1987年2月号掲載)
大 賞:メキシコW杯を自費で観戦した熱烈なファン ※スペインW杯の自費観戦者も(遡り)
敢闘賞:永井良和(古河のリーグ優勝の功労者)
殊勲賞:広堅太郎(体協のアマチュア規定の改正に奮闘)
技能賞:日本のサッカージャーナリズム全体(メキシコW杯に大挙して取材し数多く出版)

◆1987年(サッカーマガジン1988年2月号掲載)
大 賞:加藤久(日本代表の主将、守りの要として活躍)
殊勲賞:与那城ジョージ(監督1年目でリーグと天皇杯に優勝)
敢闘賞:武田修宏(新人ながら大活躍)
技能賞:日本サッカーリーグの運営事務局(選手登録に新制度を導入)

◆1988年(サッカーマガジン1989年2月号掲載)
大 賞:笹浪昭平(読売クラブを創設し日本サッカーを改革)
殊勲賞:雪中のトヨタカップ(世紀の泥んこ試合)
技能賞:オスカー(元ブラジル代表で日産の連戦連勝に貢献)
敢闘賞:小池英雄(三国友好チョモランマ登山隊隊員。世界最高峰でサッカーをした)

◆1989年(サッカーマガジン1990年2月号掲載)
大 賞:加茂周(長年にわたって日本サッカーを考えながら日産を育ててきた)
殊勲賞:高体連(全日本ユース大会開催に協力した英断に対して)
敢闘賞:コパアメリカを取材したフリーのカメラマンとジャーナリスト(日本は関係ないのにブラジルの果てまで行った)
技能賞:トヨタカップのプログラム(他の大会と比べて文句なく充実している)

◆1990年(サッカーマガジン1991年3月号掲載)
大 賞:九州のサッカー指導者(高校選手権のベスト4に九州勢3校が進出)
敢闘賞&殊勲賞:女子日本代表(アジア大会で銀メダルと将来に期待)
技能賞:高田静夫(イタリアW杯で線審3回、主審1回を務めた)

◆1991年(サッカーマガジン1992年3月号掲載)
大 賞:1992年元日の天皇杯決勝の6万大観衆
技能賞:Jリーグ(プロリーグ実現への意欲的な行動力と巧妙な政治的策略)
敢闘賞:2002年W杯立候補(難問あるもあえて立候補に踏み切った)
殊勲賞:清水秀彦(新人監督ながら日産を天皇杯優勝させた)

◆1992年(サッカーマガジン1993年2月21日号掲載)
大 賞:ハンス・オフト(日本代表チームを変えた原動力)
殊勲賞:川淵三郎(Jリーグ効果を演出した)
敢闘賞:北沢豪(Jリーグ効果の舞台で活躍した主役として)
技能賞:木梨憲武(TV番組「生ダラ」がサッカー普及におおいに貢献)

◆1993年(サッカーマガジン1994年1月19日号掲載)
大 賞:Jリーグ
技能賞:博報堂(Jリーグ・ブームを演出)
殊勲賞:「Jリーグ」の名付け親(特に「プロ」を隠した通称に)
敢闘賞:ハンス・オフト

◆1994年(サッカーマガジン1995年1月18日号掲載)
大 賞:全国の少年サッカーのすぐれた指導者たち(U-16がアジア・ユース大会で優勝、U-19がアジア選手権で準優勝)
敢闘賞:ヴェルディ(2年連続チャンピオン)
殊勲賞:加藤久(大学の先生とプロ選手の仕事を両立させた長年の奮闘を称えて)
技能賞:浦和レッズの広報活動(マッチデー・プログラムを着実に発行)

◆1995年(サッカーマガジン1996年1月10日・17日合併号掲載)
大 賞:Jリーグ・ダイジェスト(Jリーグの中継が減るなかで、かねてからほしかった貴重な番組)
敢闘賞:ユニバーシアード代表優勝(チームだけでなく大学サッカー関係者の協力支援体制も含めて)
技能賞:ネルシーニョ(ニコスシリーズで優勝した手腕は見事)
殊勲賞:早野宏史(横浜マリノスの監督としてチャンピオンシップ優勝)

◆1996年(サッカーマガジン1997年1月29日号掲載)
大 賞:ジーコ(Jリーグのスタートに貢献し、4年目シーズンにアントラーズを優勝)
殊勲賞:アトランタ五輪代表(ブラジル、ハンガリーに勝利)
殊勲賞&技能賞:川口能活(ブラジル戦での獅子奮迅の活躍)
※管理人注:川口は敢闘賞&技能賞の誤りと思われる

◆1997年(サッカーマガジン1998年1月21日号掲載)
大 賞:日本代表(フランスW杯出場を決めた。加茂、岡田両監督の功労も含めて)
殊勲賞:井原正巳
敢闘賞:三浦知良
技能賞:中田英寿

◆1998年(サッカーマガジン1999年1月6日・13日合併号掲載)
大 賞:入場券がなくてもフランスへ応援に行ったサポーターたち
殊勲賞:無謀な日本人サポーターを温かく迎えてくれたツールーズの市民
敢闘賞:岡田武史(あざやかな出処進退に)
技能賞:鹿島アントラーズ経営陣(創設以来、地方でクラブを維持し、優勝するチームを育ててきた手腕に)

◆1999年(サッカーマガジン2000年1月19日号掲載)
大 賞:トルシエ
殊勲賞:中田英寿
技能賞:横浜FCを立ち上げたサポーター(フリューゲルス再建をめざし短期間で新クラブを作った熱意と努力と工夫に)
敢闘賞:森本鶴(ラツィオ女子チームで活躍)

◆2000年(サッカーマガジン2001年1月24日号掲載)
大 賞:トルシエ(アジア杯で優勝して、監督の座を確保)
技能賞:岡野俊一郎(トルシエ続投とコンフェデ開催に巧妙さを発揮)
殊勲賞:名波浩(トルシエの批判にめげずにアジア杯でリーダとして優勝に貢献)
技能賞:ダバディ

◆2001年(サッカーマガジン2002年1月23日号掲載)
大 賞:各地に登場した新スタジアム(ただし、表彰は10年後)
技能賞:小野伸二(フェイエノールトで技術と戦術能力を発揮)
敢闘賞:高原直泰(欧州ではなく、あえてアルゼンチンに行った)
殊勲賞:川口能活(日本人GKが海外で通用することを示した)

◆2002年(サッカーマガジン2003年1月1日号掲載)
大 賞:大分県中津江村
殊勲賞:ジュビロ磐田のフロント(磐田のサッカーを粘り強く強化してきた努力)
技能賞:茨城県鹿嶋市のサッカー関係者(W杯を大衆が楽しめるように運営)
敢闘賞:アルビレックス新潟(スポーツが盛んでなかった地方でクラブを育て、あと一歩でJリーグ昇格)

◆2003年(サッカーマガジン2004年1月6日・13日合併号掲載
大 賞:新潟のサポーター(J1に昇格したアルビレックスのサポーターの熱気とマナーのよさ)
殊勲賞:ハンス・オフト(浦和がナビスコ杯優勝。浦和はリーグ発足後初のタイトル)
敢闘賞:オシム(ジェフ市原を優勝争いにからませた)
技能賞:石渡靖之(市立船橋監督。前任の布監督に劣らない成績で、天皇杯では横浜と引き分け)

◆2004年(サッカーマガジン2004年12月28日号掲載)
大 賞:トヨタカップの25年にわたる功績
殊勲賞:ザスパ草津(地方の町で働きながらプロのサッカーを育てている試み)
敢闘賞:なでしこジャパン(アテネ五輪の戦いぶり)
技能賞:ジーコ(日本代表がドイツW杯アジア最終予選に進出)

◆2005年(サッカーマガジン2006年1月10日号掲載)
大 賞:ジーコ(ドイツW杯決勝大会に出場決定)
殊勲賞:ヴァンフォーレ甲府のフロント
技能賞:オシム(ジェフをナビスコカップで優勝)
敢闘賞:ガンバ大阪の育成部門(J1で優勝。ユースから代表選手を輩出)

◆2006年(ビバ!スポーツ時評2007年1月3日、4日、5日、6日)
大 賞:株式会社三菱自動車フットボールクラブ(財政面でも、観客動員でも、チーム成績でもJリーグのナンバーワンになった)
技能賞:ブッフバルト(浦和の監督として「勝者のメンタリティー」を育てた)
殊勲賞:オシム(日本代表監督とし、協会とメディアを巧みに操るテクニックに)
敢闘賞:川口能活(ドイツW杯の1戦、2戦で再三の好守)

◆2007年(ビバ!スポーツ時評2008年1月30日、2月2日、3日)
大 賞:中村俊輔(セルチックで活躍。チャンピオンズリーグでもマンチェスター相手に見事なFK)
技能賞:オリヴェイラ(鹿島の監督就任1年目でJリーグに優勝し、天皇杯もとった)
敢闘賞:オジェック(浦和の監督として、過密日程を果敢に戦い抜いた)
殊勲賞:日テレ・ベレーザ(なでしこリーグ、リーグ杯、スーパー杯、全日本選手権の4冠達成)

◆2008年(ビバ!スポーツ時評2009年2月1日、4日、5日)
大 賞:大分トリニータのサポーター(ナビスコ杯決勝に1万人が大移動)
殊勲賞:なでしこジャパン(東アジア選手権で北朝鮮、中国、韓国を破って初タイトルを獲得)
敢闘賞:我那覇和樹(ドーピング疑惑に敢然と戦った)
技能賞:中条一雄(「デットマール・クラマー、日本サッカー改革論」を出版)

◆2009年(ビバ!スポーツ時評2010年1月19日、21日、22日)
大 賞:鹿島アントラーズの運営(Jリーグ3連覇を達成)
殊勲賞:岡崎慎司(2009年日本代表チームで16試合に15得点)
敢闘賞:明治大学(天皇杯の2回戦でJ2湘南を、3回戦でJ1山形を破った)
技能賞:前田遼一(リーグの全34試合に出場し20得点。7年振りの日本人の得点王)
番外特別賞:ストイコビッチ(マリノスとの試合で、ベンチ前から約50mのロングシュートを決めた)

◆2010年(ビバ!スポーツ時評2011年1月8日、11日、18日)
大 賞:女子日本代表とベレーザ(広州アジア大会優勝と日本代表の中核として)
敢闘賞:南アW杯の日本代表チームのプレーヤー全員
技能賞:本田圭佑
殊勲賞:中沢佑二
メディア賞:元川悦子(岡田監督の戦術変更の裏話)

◆2011年(ビバ!スポーツ時評2012年1月19日、20日、21日)
大 賞:女子サッカーの種をまいた先覚者、功労者
技能賞:佐々木則夫(個性を生かしてチームをまとめた)
敢闘賞:澤穂希
殊勲賞:海堀あゆみ(W杯決勝でのPK戦の好セーブ)
(男子の部)
殊勲賞:ザッケローニ(準備期間が短い中で、アジア杯優勝)
敢闘賞:李忠成(アジア杯決勝での見事な決勝ゴール)
技能賞:柏レイソルのフロント(ネルシーニョをJ2でも続投させた)

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サッカー日誌 / 2013年01月09日


ビバ!サッカー大賞2012(1)


グランプリを長友と香川に
欧州の名門、強豪チームで活躍

★気付かない業績を記録
 毎年、たいていは年始に「ビバ!サッカー大賞」を発表している。ただ一人の選考委員が独断と偏見で選ぶ。賞状もトロフィーも賞金もない。ただ、その名前を公表して記録するだけである。
 多くの表彰は、表彰を受ける側のためではなく、表彰する側のためである。表彰されるほうはトロフィーをもらわなくても功労は記録されていて、多くの人が知っている。表彰するほうがトロフィーなどを出して自己の権威を確認し、悦に入っているだけである。
 わが、ビバ!サッカーの表彰は、そうではない。
 権威をもって任じている人たちには関心のない業績に注目し、歴史に留めることを趣旨としている。
 したがって、タイトルをとっただけ、あるいは記録を作っただけでは対象にしない。すでに優勝杯などをもらっていてレコードブックにも残るからである。

★欧州での挑戦を代表して
 トロフィーをもらっていないが、記録に留めておくべき業績を探してみた。
 その結果、ジャジャーン!
 「2012年度のビバ!サッカー大賞は長友佑都くんと香川真司くんに決定いたしましたぁ……」
 長友はインターミラノへ、香川はマンチェスター・ユナイテッドに欧州内で移籍した。欧州のサッカーに挑戦して、そのプレーが評価された結果である。そこを評価した。
 「欧州で活躍している選手はほかにもいるぞ。たとえば本田圭佑とか……」。
 その通り。欧州各国のトップクラスのクラブに移籍した日本人選手は40人近くいる。この2年ほどの間に急速に増えている。
 この画期的な現象を記録に留めておくために、欧州で挑戦している選手の代表として2人を選んだ。

★「夢のまた夢」を実現
 なぜ、長友と香川かというと、インター・ミラノとマンチェスター・ユナイテッドが、欧州最高クラスの強豪で、名門だからである。こういうクラブに引き抜かれたことは、半世紀以上前からサッカーを取材している身には、ひとしお感慨が深い。この両チームは当時すでに名門で、日本のプレーヤーが活躍するのは「夢のまた夢」だったからである。
 「長友がACチェゼーナからインター・ミラノ」に移ったのは2011年だろ? 2012年度じゃないぞ」
 分っている。わがビバ!サッカーは、そのくらいの違いにはこだわらない。それに2012年にも活躍している。
 「香川はドルトムントでの活躍は目覚しかったが、ケガが多い。マンチェスターでも休んでいる間が長かった」
 分っている。わがビバ!サッカーはマイナスではなくプラスに注目する。ドルトムントの2冠への貢献も、さかのぼって評価したうえのことである。


【参考】これまでのビバ!サッカー大賞

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サッカー日誌 / 2013年01月06日


「追加時間」についての一考察


天皇杯決勝の中継で知ったこと
(2013年1月1日 NHK総合テレビ)

★NHKが呼称を変更
 家庭の出来事と個人の事情のために2012~2013の年末年始は自宅で慎んで過ごした。年賀状も出せなかった。天皇杯決勝もテレビ中継で見た。
 そのおかげで知ることができたことが一つある。
 それはNHKが、この2013年元日の中継から「アディッショナル・タイム」「追加時間」という用語を使いはじめたことである。
 前半が3分延長になったとき、アナウンサーがそう「お断り」をいれた。
 これまで、日本では「ロスタイム」という表現が多く使われていた。
 「ロスタイム」という言葉は英語では聞いたことがない。おそらく和製英語だろう。空費された時間という意味なら「ウエイステッド」ではないかと思ったが、これは英語の先生にきいてみる必要がある
 
★負傷者手当ての時間?
 英語では「インジュアード・タイム」だったように思う。これも英語の先生に確かめてみる必要がある。
 試合中にケガをするプレーヤーが出る。その手当てをするために、あるいは場外へ運び出すために、空費された分だけ主審がタイムアップを延ばす。そういう意味だろう。
 しかし、現代のサッカーでは負傷者手当の時間だけでなく、リードしているチームが時間稼ぎをするケースも多い。
 そうなると「負傷時間」という表現も適当ではない。
 もともと、前後半、各45分の長さを決めるのは主審の判断に任されていた。
 だから45分が50分になっても文句は言えないのだが、現在はスタジアムに時計があり、観客も腕時計を持っている。
 「もうタイムアップだ」と観客が騒ぎ出すおそれがある。
 そこで主審の判断による「追加時間」を表示することになった。「追加時間」という表現は適切である。

★NHKは2年半遅れ?
 「アディッショナル・タイム」が使われたのは、国際大会では2010年ワールドカップ・南アフリカ大会からではないか。
 その直後から、ぼくは「追加時間」(アディッショナル・タイム)という表現を使ってきた。
 その後に、日本サッカー協会は「アディッショナル・タイム」を使いはじめた。
 スカパーなどの放送では、2012年あたりから「アディッショナル・タイム」といっているように思う。「追加時間」という訳語も使っている。
 NHKがようやく、それに追いついたのである。
 些細なことにこだわるのは、ぼくの悪い癖である。
 それは自覚しているが、NHKが2年半後に、ぼくに見習ってくれたことに、おおいに満足した。

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サッカー日誌 / 2013年01月05日


柏の日本一とネルシーニョの手腕


天皇杯全日本選手権決勝
柏レイソル 1-0 ガンバ大阪
(1月1日 東京・国立競技場=NHK総合テレビ)

★Jリーグを象徴するカード
 第92回天皇杯の決勝が柏レイソル対ガンバ大阪の対戦になったとき「最近のJリーグを象徴するようなカードだ」と思った。
 この2~3年、JリーグはJ2上位を含めて順位の変動がめまぐるしい。
 柏はJ2落ちからすぐ復帰してたちまち優勝、2012年度は6位だった。ガンバ大阪はJ1上位の常連だったが、来季はJ2落ちである。Jリーグの激しい上下動に揺さぶられているチームの対決である
 ガンバにはスター選手が多い。日本代表のレギュラークラスだった遠藤保仁、明神智和、今野泰幸がいる。柏には代表の主力だったプレーヤーはいない。
 しかし、Jの各チームの戦力は接近しているから、監督の手腕の比重が大きくなってきているように思う。

★ガンバ大阪の新布陣
 ガンバ大阪は、天皇杯の4回戦から布陣を変えた。
 守備ラインの要だった今野を中盤の守り(ボランチ)に上げ、本来はボランチの遠藤を中盤の攻撃的ポジション(トップ下)に起用した。守りも攻めも「中盤で勝負」というところである。
 これが成功して準々決勝は1失点、準決勝は無失点に抑えた。遠藤は準決勝まで3試合連続ゴールを上げた。
 柏レイソルのネルシーニョ監督は、このガンバの新布陣の成功を十分に研究して決勝戦に臨んだはずである。特に遠藤封じを考えたに違いない。
 遠藤は、攻撃の起点になって、すばやい判断で好パスを出し、自らゴール前に進出してシュートを狙う。遠藤を抑えることが日本一へのカギである。
 しかし、決勝戦は立ち上がりから、ガンバのペースだった。遠藤を中心に中盤のパスがスムーズにつながった。

★流れを変える選手交代
 ネルシーニョ監督は、前半32分に選手交代をした。
 鋭く攻め込まれて防戦に追われていたから、流れを変えるための手を打ったのは当然である。
 感心したのは、その方法だ。中盤の攻撃的ポジションいた水野晃樹に代えて田中順也を送り込んだ。田中に前線で、より多く、より攻撃的に動くことを指示したようだ。
 その直後の35分にゴールが生まれた。
 レアンドロの鋭く、速い左コーナーキックに渡部博文がぴたりと合わせた。選手交代が直接実ったわけではない。しかし、選手交代によって、それまでワントップだった澤昌克のポジションが少し変わり、強いシュートを放つことができた。それによって生まれたコーナーキックからの得点だった。
 遠藤封じのために守りを強化するのではなく、前線のわずかな構成変更によって試合を変えた。
 「これがネルシーニョだ」と思った。

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サッカー日誌 / 2013年01月01日


サッカー協会の標章と八咫烏


山本殖生著『熊野 八咫烏』
(2012年12月10日 原書房 3200円+税)

★八咫烏のすべてをまとめた本
 日本サッカー協会の標章は「3本足のカラス」である。代表チームのユニフォームの胸にもついている。この3本足のカラスは日本神話に出てくる「八咫烏」(やたがらす)だ。
 なぜ3本足なのか? そのルーツはどこにあるのか? どういう事情でサッカー協会のマークになったのか?
 そういう「八咫烏のすべて」をまとめた本が出た。山本殖生(やまもと・しげお)さんの『熊野 八咫烏』である。
 「3本足のカラス」について、古代からの遺物や文献を克明に調べた本である。その序章がサッカーの話ではじまり、「あとがき」にもサッカーとの関わりが紹介されている。
 ぼくが主宰している「日本サッカー史研究会」が協力して、2009年3月に和歌山県那智勝浦町で、2010年2月に東京でシンポジウムを開いた。そのとき山本さんにも話をしていただいた。山本さんから「サッカー史研究会のおかげです」と添え書きをつけて、この労作を送っていただいた。

★3本足のカラスの伝説
 この2度のシンポジウムで、日本サッカー協会の標章が「八咫烏」をモチーフにしたものであることは明らかになった。そう、ぼくは思っている。
 ところが協会では、中国の『淮南子』(えなんじ)という本の記述がもとであるという考えをとっており、ホームページには「日本では神武天皇御東征のとき八咫烏が天皇の軍隊を道案内したことがあり、烏には親しみがあります」と標章と八咫烏に直接の関係はないような書き方をしている。
 『淮南子』は、いまから2100年以上前の本である。この本のなかに「太陽の中にカラスがいる」という記述があるが、3本足とは書いてない。
 3本足のカラスの伝説は、もっとはるか昔、紀元前5000~3000年に遡ることができる。中国だけでなく、インド、朝鮮などにも似たような神話や伝説がある。そういうことが山本殖生さんの『熊野 八咫烏』のなかに書いてある。

★日本の建国神話がもと
 日本サッカー協会の標章ができたのは1931年(昭和6年)で、デザインしたのは日名子実三という当時のこの道の第一人者である。日名子さんは、このころ日本神話をもとにしたデザインを、ほかにいくつも残している。したがって、日名子さんが、日本の建国神話、神武天皇ご東征のエピソードをテーマにしたことは、ほとんど疑いの余地がない。
 「3本足のカラス」をサッカーに結びつけたアイデアは秀逸だ。
 2本足の人間が、一方の足でボールを扱うと、もう一方の足だけで体を支えなければならない。だから、サッカーは「1本足のスポーツ」である。しかし、3本足なら、2本の足でしっかり立って、3本目の足でボールを扱うことができる。協会の標章の図案は、まさにそれである。
 また、八咫烏は勝利への道案内である。日本のサッカーの標章にぴったりである。


山本さんの著書の表紙カバー

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