サッカー日誌 / 2012年04月19日


女子サッカー連盟創設のころ


森健児さんのお話を聞いて

日本サッカー史研究会4月例会
(4月16日 JFAハウス会議室)

★新組織創設の困難
 新しい組織を作ろうとすると、いろいろな障害がでてくる。それを乗り越えていかなければ前進しない。
 女子サッカーは、いま「なでしこブーム」で脚光を浴びているが、日本で女子サッカーがスタートしたころには、いろいろな障害があった。それを、どのようにして乗り越えたのだろうか?
 日本サッカー史研究会の4月例会では、1979年に日本女子サッカー連盟が創立されたころの事情を取り上げた。初代の理事長だった森健児さんにゲストとして来てもらって話を聞き、また初代会長だった大畠襄さんにも補足していただいた。
 ぼくの記憶では、当時の日本サッカー協会は女子連盟の創設に積極的ではなかった。
 それを押し切ることができたのには、いくつかの要因があった。

★三菱サッカーの貢献
 森健児さんの話を聞いて思ったのは、日本の女子の組織を作るために、三菱のサッカーが大きな役割を果たしたことである。
 三菱創設100年の記念事業として、三菱各社の連合で100億円を集め、そのうちの50億円ほどで東京の巣鴨に三菱養和会のスポーツクラブを作ることになった。そのとき女子サッカーを取り入れようというアイデアが出た。これは、すでに、ほそぼそとしてではあるが、女子サッカーを実践しているところが、ほかにあったからである。
 たとえば1972年にはじまった東京の「FCジンナン」である。それは小さな種(たね)ではあったが、大きく育つ見込みは乏しいものだった。しかし小さな種が苗くらいに育っていたから、三菱養和で女子サッカーを取り入れるというアイデアが出たのではないかと考えた。 新しいことを始めるには、小さくても「種」が必要だと思った。

★森健児さんの功績
 巣鴨の三菱養和クラブには、そのころに移入されたばかりの人工芝のグラウンドができた。これが数少ない首都圏の女子チームの根拠地になった。ほかのグラウンドは、ほかの男子チームが「既得権」として使っていたから女子チームが割り込むのは難しい。新設の人工芝のフィールドを女子が利用できたのは有難かった。新しい女子サッカーが、既成の組織に割り込むことができた要因の一つは、三菱養和の人工芝のグラウンドだった。
 こういう動きのなかで、女子サッカーの組織化に動いた中心人物が、森健児さんである。
 三菱養和のスポーツクラブを運営するために、三菱重工から送りこまれたのだが、そのアイデアと政治力で日本の女子サッカーの推進力となった。
 森健児さんは、協会の専務理事を勤めるなど、ほかにも、いろいろな業績があるが、女子サッカーへの功績も忘れてはならない。


(左から)、大畠襄さん、森健児さん、牛木。


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