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サッカー日誌 / 2013年12月03日


日本初の女性指導者、綾部美知枝


日本サッカー史研究会11月例会
(11月18日 JFAハウス会議室)

★「健太、泣くじゃねえだよ」
 日本サッカー史研究会の11月例会に静岡県の清水から綾部美知枝さんに来ていただいた。綾部さんは日本の女性サッカー指導者第1号である。現在は日本サッカー協会の特任理事を務めている。
 ぼくが綾部さんを知ったのは、「よみうりランド」で行われた1977年の全日本少年サッカー大会のときである。
 優勝した清水FCの監督が綾部さんだった。
 決勝戦で埼玉代表の下落合サッカー少年団と激戦のすえ延長引き分け、両チーム優勝となった。
 下落合の子どもたちは優勝を喜んでいたのだが、清水FCの子どもたちは、ぽろぽろ涙をこぼしていた。勝てなかったのが悔しかったのである。
 清水の中心は長谷川健太だった。泣きじゃくる長谷川少年に「健太、泣くじゃねえだよ」と綾部監督が言ったのが、今でも耳に残っている。

★日本代表を生んだ指導力
 このときのチームには、大榎克己、堀池巧もいた。みなのちに日本代表になった。今になって思うと、これは綾部さんのすぐれた指導の賜物である。
 綾部さんは子どもたちにやる気を起こさせるような、さまざまな指導法を工夫して子どもたちを育てた。ぼくは、それを取材して当時の「サッカーマガジン」誌上で紹介している。
 実は、そのことを、ぼくはすっかり忘れていたのだが、綾部さんは覚えていた。「マスコミで取り上げられて褒められた
のは、あれが初めてだった」という。
 優れた指導者を見分ける目があったことを、ぼくは、ちょっと自慢したい。
 清水FCは市内の小学校からサッカーの上手な子を選抜して編成した英才教育のチームだった。
 男の子の選抜チームの監督に女性の綾部さんを起用したのは、清水のサッカーの大親分、堀田哲爾さんである。

★堀田哲爾さんが登用
 綾部さんは高校では陸上競技とバレーボールをし、体育大学では創作ダンスを専攻していた。清水の飯田小学校で2年生の担任になったとき、子どもたちに「先生、サッカーをやろうや」と誘われてサッカーをはじめたという。
 それがきっかけで、コーチング・スクールを受講し、小学校単位だったサッカー少年団の指導者になり、清水FCの監督になった。
 綾部さんを登用した堀田哲爾さんも小学校の先生だった。しかし、およそ公立学校の先生らしくない思い切った仕事をする人だった。
 小学校対抗の試合が文部省の方針で禁止されているのに、市内で小学校のリーグを組織し、単独のサッカー少年団が争う全国大会に選抜チームの清水FCで参加した。
 無茶苦茶なやり方に批判もあったが、その大胆さが日本で最初の本格的女性サッカー指導者を生んだのだと思う。

(お断り)11月25日付で掲載した記事のなかで得点経過を間違えていました。読者のご指摘で気がつきました。修正して掲載し直してあります。(牛木)

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