サッカー日誌 / 2010年12月29日


スポーツ発展のカギとなった人物


日本フットボール学会シンポジウム
「日本フットボールのルーツを考える」
(12月24日 立教大学池袋キャンパス)


◇三つのフットボールを並べて
 「日本フットボール学会」という大学の先生方を中心とした学会があって、毎年、12月に総会を開いている。2010年度は2日間のイベントの最後に「日本フットボールのルーツを考える」というシンポジウムがあり、ぼくもパネリストとして協力した。
 フットボールはサッカーだけではない。ラグビーも、アメリカン・フットボールも、19世紀前半までさかのぼれば、もともと同根である。それが、どのようにして分かれ、それぞれ、どのようにして日本に入ってきたか。また、その移入の時期や方法の違いによって、その後の日本での発展が、どのように違ったか。そういうことをテーマにしたシンポジウムだった。
 サッカーとラグビーとアメリカン・フットボールにから一人ずつパネリストを出して、それぞれ20分ずつ説明し、そのあと司会者(中塚義実さん)のリードで討論した。
 三つのスポーツを同じ土俵に上げて考えてみようという試みはユニークで有意義だった。

◇日本サッカーのルーツを考える
 サッカーは明治の初期から日本へいろいろなルートで紹介されているが、本格的に導入され、普及し始めたのは、1903年(明治36年)から1904(明治37年)にかけてである。東京高師の生徒だった中村覚之助が指導書を編纂し、仲間を募ってチームを編成し、横浜外人クラブと日本最初の試合をした。それから急速に主として中学校(旧制)に伝わった。サッカーについては、ぼく(牛木)が、そう説明した。
 明治の初期から紹介されているのに、なぜ明治の後期になって、やっと広まり始めたのか? しかも太平洋戦争が終わった後まで、なかなか大衆のスポーツとして発展しなかったのはなぜか? そういうことについて考えを述べた。
 ラグビーについては、慶大出身の元日本代表選手で、フジテレビ・スポーツ局ゼネラルプロデューサー上田昭夫さんが話をした。ラグビーの日本への移入は1899年(明治32年)に英国留学から帰国した慶応義塾の田中銀之助が教員のクラークと共にチームを作ったのが始まりだとされている。

◇発展には志ある人物が不可欠
 アメリカン・フットボールについては、日本協会専務理事の金氏真さんが説明した。京都大学出身で鹿島ディアーズ監督として日本一を達成したことのある人である。アメリカン・フットボールの日本への導入は、ずっと遅れて1934年(昭和9年)だという。立教大学のポール・ラッシュという米国人教師が、米国育ちの松本瀧蔵・明大教授(戦後に衆議院議員)らの協力を得て大学リーグの組織を作った。しかし間もなく戦争が激化し、本格的な普及は戦後のことになった。
 ラグビーも、アメリカン・フットボールも、それぞれ以前から導入の機会はあったらしいのだが、ともに特定の熱意のある人物の努力で、はじめて普及への道が開けた。スポーツの発展には、志ある人物が不可欠であり、また、その人物の登場するタイミングが重要なのではないか、と思った。
 サッカーが、明治の終わりに中村覚之助という人物を得たのは幸いだったと思う。ぼくは覚之助の貴重な写真を映写して、及ばずながら、その功績を紹介しておいた。


コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
先日のコメントの件で (静岡県高校野球愛好者)
2010-12-29 15:56:01
お返事をいただけなかったのは残念ですが、すべて把握済みで90年史発刊の際には修正されるということと受け止めました。余計なでしゃばりすみませんでした。
あと一年と期間は僅かですが、素晴らしい書籍に仕上がるのを楽しみにしています。
 
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